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多久神社
たくじんじゃ
島根県出雲市多久町274
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出雲市(旧平田市)多久町にある。
平田から松江までは、日本海側、宍道湖側に道があるが、
その中央部に、東西に延びる農道がある。
その農道沿いには多くの神社が鎮座しているが、
当社もその一つ。
農道から北へ少し入った所。小山の上に鎮座している。
創祀年代は不詳。
式内社・多久神社に比定されている古社で、
出雲国風土記には、「多久社」とある神社。
北東に大船山があり、当社は大船大明神と呼ばれていたが、
明治になって、式にある多久神社の改称した。
古伝には、阿遅須枳高日子命の后・天御梶姫命が、
当地で、多伎都彦命をお産みになったという。
大船明神としての縁起としては、
安康天皇の御代、近江から松本氏が勧請し、大船山に鎮座したという。
その時、船にて勧請したその船が、今、岩となって大船山になったらしい。
いわゆる、石神なのである。
相殿に祀る二柱は、明治三十九年に合祀された拝田神社の祭神。
民家の間にある階段を上ると境内。
境内社には、客神社(伊弉諾尊,伊弉册尊)、若宮神社(宇賀魂神など三神)。
参道入口の鳥居 背後は大船山? | 参道入口 | 参道の鳥居 |
拝殿 |
若宮神社 | 拝殿内扁額 | 客神社 |
本殿 |
延喜式神名帳に多久社。出雲風土記に
多久ノ社。楯縫郡多久村。大布禰大明神(鈔)大
船大明神(考)(集解)。合殿に祀る二神はもと
字持田にあったが明治三十九年十二月二十日本殿
に合祀する。風土記によれば「郡家の東北六里一
百六十歩(今の三十二町四十間)高さ一百二十丈
五尺。周り二十一里一百八十歩(今の三里)巌の
西の石神あり。高さ一丈周り一丈許。側に小石神
百餘許あり。古老の伝に云ふ。阿遅須枳高日子命
の后、天御梶日女命多久村に来坐して多伎都比古命を産み給ふ。爾時教へ給はく。汝命の御社の向
位なり。生まんと欲ふに此處宜しと詔り玉ひき。
所謂石神は即ち是れ多伎都比古之命の御魂なり。
旱に當ひて雨を乞ふ時は必ず零らせたまへり」と
ある。 宝暦十四年甲申正月楯縫郡多久村旧記差出帳並に 天明六年丙午正月二十八日松本氏来子新兵衛写之。 −『神國島根』− |
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