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阿禰神社
あねじんじゃ
島根県出雲市湖陵町二部5
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式内社 出雲國神門郡 阿禰神社 |
神西湖の南、JR江南駅の南1Kmの場所。
線路の東にある丘の上に鎮座。
階段を登ると、ちょっと広めの境内に社殿があり、
境内には、幾つかの小祠も祀られている。
出雲国風土記所載の「阿如社」にあたる。
神紋は、『式内社調査報告』には、丸に桐とあったが、
賽銭箱や拝殿内の幕、幟には、葵の紋が付いていた。
『神国島根』には、葵紋とある。
当地は、姉谷という神西湖から南へのびる谷にあたるが、
社伝では、三貴子の姉にあたる天照大御神が鎮座したことにより、
姉谷という地名になったとある。
ただし『式内社調査報告』では、姉谷の土地神が元で、
祭神・天照大御神へと変化したのだろうとしている。
當努貴大明神というのは、当地の地頭、小笠原氏の城内鎮守社で、
祭神は素盞嗚尊・大己貴命であった。
江戸時代まで、当地には大規模な八幡宮が存在し、
阿禰神社は、小祠にすぎなかったが、
明治になって、阿禰神社が村社、八幡宮が無格社となり、
その立場が逆転、八幡宮は阿禰神社に合祀されてしまった。
阿禰神社は、元は姉谷の里の奥に鎮座していたが、
明治二十四年十月、現在地に遷座した。
社殿は西向き、本殿は大社造。
境内には屋根付きの土俵もある。
小祠が幾つかあり、客大明神・金刀比羅宮・稲荷社を祀る。
境内の立派な木の根元には荒神が祀られ、
白磁の盃が、多く転がっていた。
鳥居 | 参道 | 鳥居扁額 |
階段上の鳥居 |
拝殿 | 拝殿内部 |
境内 |
御神木に荒神 | 本殿 |
境内社 | 稲荷社 |
島根懸簸川郡湖陵町二部五番地。この地は天平
十一年(七三九)の「出雲國大税賑給歴名帳」に見える滑狭
郷阿禰里で、風土記の「神門郡滑狭郷里二」の一つに當
る。江戸時代は神門郡二部村であつたが、湖陵町に合併さ
れるまでは簸川郡江南村大字二部字姉谷であつた。山陰本
線江南驛から南約一キロメートル、舊國道より鐡道線路を
越えた山裾に鎮座。舊國道と鐡道の通過してゐる谷が姉谷
で、ここを姉谷川が流れ、社名は地名に因んでゐる。 舊社地についての社傅に「往古姉谷中央ニ在リテ、其舊 跡宮床ト稱セル地僅カニ耕地中ニ残レリ。降リテ中古姉谷 高丸山ノ根ナル川端ニ遷リ、ツイデ寶暦年中(中略)姉谷奥 ニ遷セルニヨリ、明治二十四年ニ至ルマデ鎮座アリシガ、 氏子ノ宿願ニヨリ(中略)仝年十月三日往古ノ社地ニ近キ 現今ノ地ニ遷座アリ」と、姉谷に沿うて社地が移轉してゐ るやうである。 −『式内社調査報告』− |
【 阿禰神社 阿祢神社 】