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天穗日命神社
あめのほひのみことじんじゃ
鳥取県鳥取市福井361
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鳥取市にある。
湖山池の西、福井に鎮座。
狭い路地の奥、道に面して鳥居が立ち、
参道の階段を登ると境内。
社殿は東側、湖山池に向って建っており、
参道に対して、少し斜め。
拝殿の後方に、流造の本殿がある。
境内は、欝蒼とした社叢に囲まれ、木漏れ日の中にある。
創祀年代は不詳。
永禄四年九月九日、岡ノ谷、小辛川、長谷、湯ノ戸、荒船にあった五社が大破し
当社の相殿に祀ったことから、
江戸時代には、天穂日命六王神社と称していた。
明治元年、現社名に改称した。
当時の祭神は、天穂日命を主祭神に、
天忍穂耳命・天津彦根命・活津彦根命・饒速日命・熊野櫲樟日命の五神であった。
祭神・天穂日命は、天の安河原で、
天照大神と須佐之男命が誓約をした時に生れた五神の二番目。
天照大神の第二皇子で、高天原から派遣されたが、
大国主命に懐柔され、三年たっても復命しなかった神。
出雲臣、土師連の遠祖にあたる。
三代実録によると、貞観九年(867)正三位とあり、
因幡一宮である宇倍神社が、貞観十年に従四位上であったことから、
古代においては、重要な神社であったことがうかがえる。
昭和九年発行の『鳥取県神社誌』によると、
祭神は天穂日命の他に、熊野櫲樟日命と保食神。
豊臣秀吉の山陰平定により衰退した後、
熊野櫲樟日命を分祀して、字ソバガ谷に祀っていたが、明治三年本社に合祀。
明治十二年十一月、再び分祀して荒船神社としていたが、
大正三年十二月、字家ノ前の稲荷神社(保食神)とともに本社に合祀されたという。
なかなか複雑な事情があったようだ。
だが『平成祭データ』には境内社として稲荷社の名が載っているので
現在は稲荷神とともに境内社に遷されているのかもしれない。
神紋は、亀甲紋。出雲大社と同じ。
出雲国能義郡にも同名の式内社が存在した。
境内入口 | 参道の階段 | 由緒碑 |
階段上に社殿 |
社殿 | 境内社、稲荷社か? |
本殿 |
天穂日命神社由緒
太祖天照皇大神の第二皇子にます
天穂日命は勅命により差し遣はされ
大国主大神に御奉仕せらる貞観九年因幡国正三位天穂日命社 を官社に列すとあり由来皇室の尊崇 厚く式内郷社に列せらる −参道石碑− ふるさと文化探訪 天穂日命神社
古代高草郡の豪族因幡国造氏の氏
神を祭る式内社である。古代の因幡の大社は国府町にある 宇部神社であるとされているが、格 式からみると九世紀中ごろまでは、 天穂日命神社が宇部神社よりも上位 にあった。すなわち、因幡国内にお ける中心的勢力はこの高草郡に本拠 をおく因幡国造氏であった。 なお、天穂日命神社が、もとは現 在の布施日吉神社の社地にあったと いう一説もあり、社地の決定には疑 問視するむきもある。 −参道案内板− |