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熊毛神社
くまげじんじゃ
山口県周南市大字呼坂字勝間1322
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式内社 周防國熊毛郡 熊毛神社 |
周南市にある。JR勝間駅の北200mほど。
国道2号線から北へ入った道の突き当たりの丘の上に鎮座。
江戸時代には「勝間八幡宮」と称しており、
現在も、八幡宮を相殿に祀っている。
白山神社は、明治四十年の合祀。
創祀年代は不詳。
天平十年(738)『周防国正税帳』に
「熊毛神社に稲四十束の臨時祭祀料奉献」
とあり、天平時代にはすでに存在していたという古社。
式内・熊毛神社の論社は多く、
どれも確たる論拠があるわけではないが、
現在のところ、当社が有力と見られている。
当社の式年祭で奉納される諫鼓踊(かんこおどり)は、
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、当地に宿泊し、
自ら地名を聞いたところ、
「韓を攻める途中に勝間とは吉瑞である」と戦勝を祈念し、
帰途、参拝奉納したものだと伝えられる。
また、一説には大内義隆を討ち取った時の模様を模したものとも。
社頭 |
鳥居 | 社号標 | 参道 |
境内社殿 |
拝殿に「長門三つ星」の紋が付いていたのだが、
『山口県神社誌』には、神紋不詳とあるので、
神紋ではない可能性大だ。
式内神社であるが、創立年代は不詳である。奈良時代の天
平十年(七三八)の『周防国正税帳』に、「熊毛神社に稲四十
束の臨時祭祀料奉献」とある。その後、大内・内藤・毛利氏
等の厚い崇敬を受け、安土桃山時代の天正十七年(一五八
九)の検地には、「田六町五反十歩、畠四反」の神領があっ
た(熊毛神社文書)。また、江戸時代には社殿の再建や修理
に、藩主の多額の寄進がみられる。明治六年(一八七三)郷
社に列し、大正四年(一九一五)県社に昇格する。現在の社
殿は、本殿を明治十九年(一八八六)、拝殿を同三十年(一
八九七)に再建したものである。宝物として、大内弘貞・内
藤興盛・毛利輝元等、多くの古文書を有する。
−『山口県神社誌』− |
【 熊毛神社 】