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御崎宮
おんざきぐう
岡山県岡山市北区北方4−2−29
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岡山県岡山市にある。
岡山駅の北東3Kmほどの北方に鎮座。
旭川の西岸、浄水場の南。
道がカーブしている場所に境内がある。
参拝は、正月二日の早朝。曇天。
境内では、神職や巫女が初詣参拝を迎える準備中だったので、
邪魔にならないように、気配を消しつつ、
ひっそりと参拝。
道路に面する鳥居と神門をくぐると
正面に朱の屋根の拝殿。
後方には、垣に囲まれて流造の本殿。
朝早く、境内や社殿の提灯に明かりが灯っていた。
曇天でもあり、撮影には向かない暗さ。
写真を少し加工して掲載したが、かなり見苦しい。
撮影には、やはり晴れた昼間が良いのだが、
早朝は、神社参拝には最適な刻。
街の喧騒も無く、車の渋滞も無い。
ということで参拝重視、撮影は二の次なのだ。
創祀年代は不詳。
『吉備温故録』によると、出雲御崎宮を勧請した神社。
古来、当地の産土神として崇敬されてきた古社。
御崎宮は「おんざきぐう」と読むようだが、
『明治神社誌料』には、「ミサキノミヤ」と書かれている。
出雲日御崎からの勧請なら、「ミサキ」と読む方が正しいと思う。
社頭案内によると、
以前は、中島に鎮座していたが、
宇喜多秀家岡山城築城の際、川筋を変えた為
現在地に遷座したとある。
式内社・尾治針名眞若比女咩神社に関して。
尾治針名眞若比女咩神社の所在地は、
江戸時代には、すでに不明であったが、
式内社再興の運動があり、寛延三年(あるいは四年)、
当社境内に祠を建て、尾治針名眞若比女咩神社として祀ったという。
その後、明治になって天津神社のあった場所に移され、
現在の尾治針名眞若比女咩神社として祀られるようになった。
境内には幾つかの境内社が祀られているが
どの祠が、どの神さまを祀っているのかは知らない。
『平成祭データ』には、天津神社(少彦名命)、
志米神社(祭神不詳)、八幡宮(應神天皇・仲哀天皇・神功皇后)、
稲荷神社二社(倉稻魂命)、天神社(少彦名命)の名が記されている。
本殿には、桐紋を染めた幕が掛けられていたが
『神社名鑑』によると、神紋は弓矢紋。
ただし、確認できなかったので
詳細なデザインがわからず、掲載できない。
社域 | 神門 |
境内 |
拝殿 |
本殿 | 本殿 |
−社頭案内板− |