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比賣神社
ひめのじんじゃ
富山県南砺市高宮字中丹保4520
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式内社 越中國礪波郡 比賣神社 |
富山県南砺市(旧福光町)高宮にある。
福光駅の南西2Kmほど。小矢部川の東に鎮座。
隣りには、喜志麻保育園があり、
境内には「安全に楽しく遊びましょう」の看板。
園児達の遊び場になっているのだろう。
小矢部川に沿って走る道路に沿って境内がある。
鳥居の背後の二本の木が、めっちゃ高い。
境内の社殿は、富山に多いガラス張り。
創祀年代は不詳。
明治の神社明細帳によれば、
真言法船寺の祖先・喜志麻某という者が、文治年間に勧請した社であるともいう。
往時は、高宮村の産土神で、七堂伽藍の大社であったという。
あるいは、四条天皇の御宇、嘉祥の年、
沙門空潮なる者が堂を建て、雉真大明神としたとも。
比賣神社(姫神)は、雄神神社と一対に祀られ、
雄神神社は雄神川(庄川)の上流、当社は比賣川(小矢部川)の上流に
それぞれ祀られているとも。
富山には比賣神社が幾つかあり、それらの祭神は市杵島姫命が多いが、
当社祭神は、下照姫命。
(柳瀬の比賣神社、下中条の比賣神社)
個人的には、字名の「丹保」が気になるところ。
ひょっとすると、丹生津姫命かもしれないとも思う。
高宮という地名は、下照姫命の別名、高比売命によるものだろうか。
あるいは、高宮という地名から、祭神を高比売命→下照姫命と特定したのだろうか。
当社の別名である、雉真大明神に関して、
古事記に、高御産巣日神(高木神)が、葦原中国へ派遣した
天若日子命(下照姫命の夫)の様子を調べるため、雉(鳴女)を使わしたが、
天若日子命は、雉を射殺してしまい、返し矢によって死んでしまうという故事による。
あるいは、三代実録に記載されている、越中国から献上された白雉によるとも。
鳥居 | 社殿 |
社殿 |
境内社 | 本殿 | 境内から参道 |
比賣神社 由緒
御祭神 下照比賣命御神徳 豊かな村造り 家庭の平安守護 鎮座年月日は不詳であるが 延喜式内社(西紀九〇一)砺波七座の内の 比賣神社と伝えられている 嘉禄二年(一二二六)僧空潮実記の縁起に よれば七堂伽藍の大社として 雉真大明神及び法性寺と号した その後 上杉謙信越中攻めの折殿宇すべて兵焚にかかり灰燼となったが 土生の郷士小瀬信玄名跡の荒廃するのを嘆き殿宇を建立し 自ら社僧となった 比賣神社及び雉真山法船寺として広く尊崇 されたが明治になって神佛混淆廃止により今日に至った 口伝によれば当神社は雄神神社と雌雄一対で雄神神社は 雄神川(庄川)の山を出ずる口すなわち庄村に 高宮の比賣神社は 比賣川(小矢部川)の山の出口にあって野に臨む所に鎮座されている 白雉の故事 三代実録(九〇一)に貞観十八年(八七六)越中の国より白雉を献上 とあり雉真大明神の社号はこの故事か あるいは古事記 (七一二)天若彦の故事より名付けられたとも言われ 雉子は下照比賣命の使者とされている −社頭案内より− |
【 比売神社 比賣神社 (南砺市) 】