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青海神社
あおうみじんじゃ
福井県大飯郡高浜町青15−1
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福井県の高浜町にある。
小浜線・青郷駅の東1Kmほどの青に鎮座。
青郷駅と三松駅の中間地点、27号線に面して南向きの境内がある。
境内は南北に細長く、100m近くの参道が鬱蒼とした木々に囲まれている。
森林浴に最適な参道を歩くと「式内青海神社」と刻まれた社号標があり
鳥居をくぐると広い境内。
正式名は、青海(あおうみ)だが、「セイカイ」とも読まれ
木々の多さからか「大森さん」とも呼ばれているらしい。
社殿はすべて南向きで、新しい拝殿の後方に本殿を納めた覆屋。
本殿の後方には、当社を創祀したと伝えられる青海皇女が禊をしたという
小さな池(窪み)が祀られている。
境内右手奥の林の中に境内社がいくつか並び、
境内左手奥には、出雲大社拝所や青葉山拝所がある。
境内に北奥に社殿があり、社殿の背後には関屋川が流れている。
参道に沿って日置川が流れ、社殿後方で関屋川に合流している。
また、当社の北西には若狭富士と呼ばれる青葉山が聳えている。
当社の位置的には青葉山よ遥拝する神社のようだが
若狭湾へそそぐ関屋川の河口近くにあり海を祀っているようでもある。
創祀年代は不詳。
『若狭国神階帳』に「正五位 青海明神」と記されている古社で、
式内社・青海神社に比定されている神社。
一説には、当初は青と横津海の境あたり(青郷駅付近)にあったが
洪水の為、現在地に遷座したとも。
主祭神の椎根津彦命は、神武天皇東征のおりに仕えた導きの神であり
青海首の租神である。
鎮座地の青は、青里、青郷とも記され
古代朝廷への大贄の貢進地であり屯倉であったと考えられている。
履中天皇の皇女(あるいは孫)の青海皇女(飯豊青皇女)は
当地と深いつながりがあり、椎根津彦命を祀ったと伝えられている。
また祭神に関する異説としては、大綿津見神を祀るとか
青海皇女を祀るとするものもある。
明治四十三年、横津海にあった無格社八幡神社と稲荷神社を合祀。
大正十三年八月五日郷社に昇格した。
本殿の右手には、廣嶺神社・秋葉神社・八幡神社が祀られている。
さらに奥には、上津地区から昭和五十年に移転された八幡神社と
仮本殿(遷座所)がある。
社殿の改築時に神を遷した場所なのだろう。
拝殿の屋根には金色の桐の紋が付けられている。
日置川上流の日置神社から見た青葉山(若狭富士) |
参道入口 | 参道 |
参道 |
社号標 | 鳥居 |
境内 |
舞殿か? | 拝殿 |
本殿覆屋 | 境内社三社 |
八幡神社 | 仮本殿 |
出雲大社拝所 | 青葉山拝所 |
本殿後方の禊池 |
延喜式内 青海神社由緒
主祭神の椎根津彦命は古事記、日本書紀に依ると神武天皇 東征の砌、海道を導かれ日本の建国に際しては殖産興業に 御尽力されました。 青郷の人々の祖先である青海首は海部と呼ばれる海に関 る人々であり、御祭神椎根津彦命の末裔でありますが、 海部を御統治された第十七代履中天皇の皇女飯豊青皇女 (青海皇女)が御祭神を慕われ御祀りになられたと伝えている。 現在、御本殿後方の窪池は、飯豊青皇女の禊池と伝えている。 古代の青郷は現在の地域よりもはるかに広く、現在の青郷は元よ り高浜町の内浦地区、京都舞鶴市の大浦地区をも含み、当神社は 若狭丹後国にわたるこの地域の総鎮守の宮であります。 −社前案内板より− |