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美麻奈比古神社
みまなひこじんじゃ
石川県鳳珠郡穴水町川島ホ23−1−2
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式内社 能登國鳳至郡 美麻奈比古神社 |
能登半島・穴水町にある。
のと鉄道能登線・穴水駅から北へ1Kmほど。
鉄道高架の西側に境内入口がある。
当日は、東の珠洲方面から車で来たので、
高架の陰の入口に気づかずに道に迷った。
ちょうど、穴水警察署があったので、
道をたずね、車を置かせてもらって歩いて参拝。
警察から200mほど西へ歩くと朱の鳥居が見えてくる。
参道には大きな木が聳えて、良い雰囲気だが、
交通量の多い道路が近いせいか、ちょっとうるさい。
それでも、境内に入ると大きな社殿に迎えられ、
深呼吸したくなる清浄さはある。
創祀年代は不詳。
往古は、美麻奈比古神社と美麻奈比咩神社がそれぞれ別に存在したが、
社伝によると、天正年中、上杉謙信の侵攻により美麻奈比咩神社が焼失し、
美麻奈比古神社に合祀されたもの。
また、別にあった白山神社も相殿に祀り、
現在のように三柱を主神とする神社となった。
大正になって、稲荷神社・幸神塚神社を合祀し、
祭神は六柱となった。
美麻奈とは「穴水」の訓だったらしく、
穴水の男女の神を祀ったもの。
社殿の屋根に、一つ巴の紋が付いていた。
珍しい井桁付き。
井桁の周りを「円」で囲んだ紋もあったが、
無い方が本来の形じゃないだろうか。
社号標の三社名 | 鳥居 | 参道 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
屋根の神紋 | 本殿覆屋 | 瓦にも神紋 |
美麻奈比古神社の由緒 穴水町の総鎮守として穴水低地の鬼門にあたる字川島通称白山に鎮座。 美麻奈比古神・美麻奈比咩神・白山神などを祀る。 3神は天正8年(1580)の社殿再興のおりに同殿としたもので、美麻奈比咩神社は現社地(北宮本宮)の南、二十九日地区に、白山神社は穴水城内に所在した。 穴水をミマナと訓じ穴水白山宮、能登国津神宮とも称した。 荒魂は西方の穴水堂権現であり、寛政8年(1796)にその井戸底から菊花散らし文鏡が発見されている。 美麻奈比古神・美麻奈比咩神は「延喜式」鳳至郡所載の小社であるが、古代の穴水駅が能登郡であるところから旧社地の所在をめぐって諸説がある。 しかし郡境を小又川ないし山王川とすれば、その北は鳳至郡であり矛盾はなく、境内には平安期の須恵器も散布している。 天治・永治(1124〜1141)のころには崇徳天皇の勅願所として勅使が下向したと伝え、そのおりに遣わされた梅樹(崇徳梅)が現存している。 中世では応永4年(1427)に長谷部忠信が大般若経を奉納している。 社僧も多く北八坊、南八坊の十六坊(惣号川島寺)が存在したが、天正5年(1577)の上杉勢の浸入により衆徒は離散した。 近世では穴水郷36ケ村の総社として崇敬され、総持寺からも明和8年(1771)に朱漆塗瓶子一対が奉納されている。 春祭りは(4月18日)「お頭祭り」ともよばれ、古くは36カ村より頭人が選出され、厳重な潔斎のうえ種々の神事が執行された。 お頭は昭和40年代まで川島区4人一組でおこなわれたが現在は中断している。 しかし祭礼は乙ケ崎海岸の火宮神社で神迎えをし、乙ケ崎区の獅子舞が先導する古い形を現在も継承している。 元禄7年(1694)以降のお頭帳が現存し、当(頭)屋祭研究の重要史料となっている。 また新たに氏子入りした花嫁が参拝する「ゲンゾ」参りも著名。 秋祭り(9月15日)は能登では珍しく、キリコと三車15台ほどが入り乱れて秋の夜に競演する。 なお昭和30年代まで美麻奈比咩神社の旧社地である二十九日地区において、鎮火祭・茅の輪くぐりの神事(6月30日)がおこなわれた。 −『平成祭データ』− |
【 美麻奈比古神社 (穴水町) 】