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加茂神社
かもじんじゃ
富山県射水市加茂中部630
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富山県射水市(旧下村)にある。
北陸本線・呉羽駅の北西4Kmほどの加茂中部に鎮座。
41号線の加茂交差点から西へ入る。
射水市役所下庁舎(旧下村役場?)から西へ500mほどの場所。
参道入口は南東向き。
入口の左手に「左隣接地倉垣庄庄館館趾」と刻まれた石碑が立っているが
左手は広い空き地。北側に下村馬事公園があるが、そのあたりだろうか。
参道入口から200mほどありそうな参道を進むと中間地点に鳥居。
この長い参道で流鏑馬神事などが行われているのだろうか。
鳥居の脇には「倉垣庄之總社加茂神社」と刻まれた社号標。
さらに参道を進むと、社殿のある境内入口にも鳥居。
境内は広く清潔に維持されている。
文化財に指定されている祭事が行われているらしく、
維持管理が行き届いている印象。
社殿の向かい側と境内左手に御旅所が2カ所。
手前の御旅所は加茂祭の御旅所、左手は御田植祭の御旅所。
祭によって御旅所が違うのが面白い。
拝殿は瓦葺入母屋造平入。
背後の本殿は樹木が茂っていて撮影でき無かったが流造のようだ。
当社は「下村の脚気の宮」とも称されており、
脚気に霊験のある神社として有名らしい。
社伝によると、第七十代後冷泉天皇の治暦二年(1066)の創祀。
賀茂御祖神社の御神領(御厨)であった倉垣庄の総社として崇敬された古社。
よって祭神は、京都下鴨・賀茂御祖神社の玉依姫命・賀茂建角身命と、
京都上賀茂・賀茂別雷神社の賀茂別雷命。
牛乗式などが行われる加茂祭「やんさんま」や御田植祭は富山県指定無形民俗文化財、
稚児舞は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
昭和二十年五月、郷社に列せられた。
参道脇の神馬像に蔓葵の神紋が付けられている。
葵紋は加茂社特有の神紋。
参道脇に境内社が二つ。
任海社(高龗神)と貴布禰社(闇龗神)。
境内には稲穂神社(天照皇大神 豐受大神)が祀られている。
境内左手の下村馬事公園 | 参道入口 |
参道 |
参道鳥居 | 参道神馬像に神紋 |
参道 |
境内 | 拝殿 |
境内 |
加茂祭の御旅所 | 御田植祭の御旅所 |
貴布禰社 | 任海社 |
稲穂神社 | 祭事館葵 |
−参道由緒書− 加茂神社 御神徳 玉依姫命は賀茂建角身命の御子神にして、賀茂別雷命の御母神であり、婦道に御功績が多かった。賀茂建角身命は、神武天皇の御東遷に際して金鵄・八咫烏としてその霊徳を表され、建国創業をたすけ、民生の安定に貢献されるとともに、雄々しい賀茂別雷命とともに農耕殖産の道を教えられた。この神々に対する皇室の崇敬は厚く、千数百年の伝統を誇る葵祭は、勅祭として今も昔ながらに継承斎行されている。当加茂神社は、第七十代後冷泉天皇の治暦二(一〇六六)年、現在地に鎮座されたものであり、賀茂御祖神社の御神領・倉垣庄の総社である。御祭神に対する信仰は往古から甚だ厚く、大正元年に富山日報社が県内社寺のうち最も信仰厚い五神社、五寺院の投票を募集した際、当神社が最高点で当選したことからも伺い知ることができる。五穀豊穣、殖産興業、進学成就、安産、交通安全、家内安全、病難災厄除けなど、多方面にわたる御神徳、ことに脚気病に霊験顕著なるをもって「下村の脚気の宮」と称し、全国的に多数の特殊信仰者有している。 −『平成祭データ』− |