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御門主比古神社
みかどぬしひこじんじゃ
石川県七尾市鵜浦町11−20
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式内社 能登國能登郡 御門主比古神社 |
七尾市鵜浦町にある。
七尾駅から北東に10Km。
七尾南湾の入口である小口瀬戸に突き出た観音崎の付根。
鹿渡島とも呼ばれる鵜浦漁港の近く。
僕には、能登半島が東向きの恐竜の頭に見えるのだが、
そう見ると、恐竜の下顎。前歯の付根の位置。
民家の間に参道入口があり、南東向きに鳥居が建つ。
暗くて静かな参道を歩くと、正面に一段高く境内があり、
中央に社殿が鎮座。
社号標には、『式内 御門主比古神社』の横に、「阿於社」とある。
阿於谷にあった阿於大明神(櫛八玉神)を合祀したため、
江戸時代には、御門主比古神社阿於大明神と併称されていた。
明治になって、石川県から、阿於神社と称するように命じられたが、
明治16年、村民の出願によって、御門主比古神社の名に戻したという。
祭神は御門主比古神だが、江戸時代には、
豊磐窓神・櫛磐窓神と一緒に祀られており、
七尾湾の入口を護る門神と考えられていたのかもしれない。
伝承によると、
能登一宮・気多大社の祭神、大己貴命が
天下巡行の時、能登の妖魔退治のため、
高志の北島から神門島(鹿渡島)に渡ってきた。
その時、当地の御門主比古神が、鵜を捕らえて大己貴命に献上、
あるいは、櫛八玉神が御門主比古神と謀って鵜に化け、
魚をとって、大己貴命に献上したという。
よって、当地の鵜捕部と称する人々が、鵜浦で捕らえた鵜を
気多大社へ献上する神事、鵜祭が行われた。
周囲も鬱蒼とした森で、綺麗に整地された境内。
能登の神社は、このような形が多いようだ。
本殿は覆屋の中にあり、外からは見えなかった。
これも能登の神社には多い形式。
雪の多い北陸だからだろう。
鳥居 | 参道 | 社殿から参道 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
参道から見える海 |
【 御門主比古神社 (七尾市) 】