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加積雪嶋神社
かずみゆきしまじんじゃ
富山県滑川市加島町2050
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富山県滑川市にある。
中滑川駅から西へ直線で500mほどの加島町に鎮座。
富山湾の海岸沿いの道路に面して、境内入口がある。
ただし堤防で遮られており、境内から海を見ることはできない。
北向きの入口の鳥居の脇には「郷社加積雪嶋神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎があり、参道を右手に曲ると社殿。
ということで社殿は東を向いている。
参拝は10月後半の午後3時頃。
傾き始めた太陽の日射しを正面に浴びながらの参拝。
沈み行く太陽に向かって参拝しているようで面白いのだが、
写真撮影には苦労する。
拝殿は瓦葺入母屋造で、北陸の神社らしくガラスで覆われていた。
背後の本殿は堂々とした流造で、こちらは不透明な樹脂製のトタン板で囲われて
細部を確認することはできなかった。
芝生の境内は東西に長く、広くてとても気持ちが良い。
境内の東側の狭い路地には、多くの庚申塔が並んでいる。
当社の社号「加積雪嶋神社」は、資料によっては
「かずみゆきしま」「かづみゆきしま」「かつみゆきしま」とさまざま。
創祀年代は不詳。
古くは社域も広大で、社家・社僧が奉祀した大社であったという。
櫟原神社(東の宮)に対し、当社の通称は西の宮。
源義経が奥州へ下る時に武運を祈願し、拝殿に沓を残されたいう古社。
また国司として越中に赴任した大友家持もたびたび当社に参詣し、
大友家持雪島巌大和常夏等の詠歌を保存していたが、
文政年間の火災により焼失した。
江戸時代には山王社と称し、前田家の崇敬も篤く、
幣帛諸器物などの寄進を受けた。
明治十六年、旧称に戻し、
明治十七年郷社に列した。
境内の左手奥には境内社の薬神神社が祀られている。
当社の神紋に関して『全国神社名鑑』には五七桐と記されているが、
参拝時の僕のメモには五三桐とある。
社殿の写真を拡大してみたが神紋は不鮮明で五三なのか五七なのか
確認できなかった。
とりあえず、参拝時のメモを信じて五三桐としておく。
ひょっとすると五三でも五七でも良いのかもしれないが。
境内入口 |
手水舎 | 境内社・薬神神社 |
境内社殿 |
社殿 | 扁額 |
社殿 |
拝殿 | 本殿 |
境内東側路地に並ぶ庚申塔 |
当社の少し東、道の端に何かの石碑が立っていた。
案内板によると、立山・大岩道しるべと呼ばれるもので
北陸道から分岐して立山へ向かう道案内らしい。
立山への信仰登山の歴史を物語るもので、滑川市の文化財になっている。
大岩道 |