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能登生國玉比古神社
のといくくにたまひこじんじゃ
石川県鹿島郡中能登町金丸セ35
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式内社 能登國能登郡 能登生國玉比古神社 |
鹿島郡中能登町にある。
金丸駅と能登部駅の中間あたりに鎮座。
道路から一本北へ入った道から、
小川に沿って少し登ったところ。
小川を越える石橋を渡ると、鳥居と社号標と由緒石碑がある。
階段を登って、右手に曲がると狭い境内に社殿がある。
拝殿の後方、少し離れて倉庫のような社殿。
多分、この中に本殿が収められているのだろう。
境内には、小さな祠が一つ。
狐の狛犬が置かれていたので、多分稲荷だろう。
創祀年代は不詳。
能登巡行の大己貴命と少彦名命と協力して
当国開拓に神功を立てた神・多食倉長命(多気倉長命)を祀る神社。
昔は、多気倉社と称されていた時期もあるが、
明治13年、現社名に復す。
崇神天皇十年、四道将軍の大彦命が
北陸道平定のおり、当社に神宝を奉る。
孝徳天皇白雉元年、證治行者が当社に篭り、
神勅により菅生山任冬寺を築く。
少彦名命と多食倉長命の娘・伊豆目比売命(市杵嶋姫命)の子が、
菅根彦命で、金丸村主の遠祖。
式内・能登生国玉比古神社の論社の一つ。
能登という国名は、この周辺の地から始まったといわれ、
この地の開拓神が、能登の国魂と考えたものか。
あるいは、多氣倉大明神=気多の神と考えると、
能登一宮 気多大社 の本来の祭神と考えられるということだろうか。
参道の灯籠には梅の紋が付けられていた。
菅原道真を合祀しているので、天神の紋を使用しているのか、
あるいは、その灯籠は天神のものなのかもしれない。
境内入口 | 階段上から参道 | 境内社 |
境内社殿 |
社殿(中に本殿があるのか?) | 社殿 |
式内 能登生国玉比古神社由緒
神主梶井氏はその裔である。
−社前案内石碑− |