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佐伎治神社
さきちじんじゃ
福井県大飯郡高浜町宮崎字宮内59−4
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福井県の高浜町にある。
若狭高浜駅の南東500mほどの宮崎に鎮座。
27号線の宮崎交差点から南へ入り、JRを越えて直進すると境内。
直進する参道と、左手(東)へ向かう参道に分かれているが
本社は直進方向。左手へ進むと廣峯神社がある。
鳥居の右脇には「県社佐伎治神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐると、綺麗な砂利の境内。
境内奥、石組みの上の社殿がある。
この境内の石組みは、寛永十一年(1634)廃城になった
高浜城の石塁の一部を移したものらしい。
階段を上ると、正面に入母屋造の拝殿。
拝殿には、御神紋の橘を染めた幕が掛けられていた。
拝殿の後方、一段高く、幣殿と流造の本殿がある。
境内の右手(西側)に妙見山遊歩道の入口がある。
妙見山には逸見氏の碎導山城があったらしい。
妙見山には妙見神社が祀られ、
中腹には当社末社の愛宕神社があるらしいが、
登っていないので確認していない。
境内に愛宕神社遥拝所があるので、そこで参拝。
また、境内には千年松跡という
大松の痕跡が残っている。
創祀年代は不詳。
社伝によると、景行天皇の御世、
磐鹿六雁命が若狭国造に任命された時には
すでに存在していたほどの古社であるという。
元は、現在地の東北1.5Kmほどの
薗部の水田に囲まれた園池の森に鎮座していたといい、
参拝に不便なので、牛頭天王社(境内社廣峯神社)の傍らに遷座した。
あるいは、もとは妙見山に鎮座していたとも考えられているようだが
何れにしろ、逸見氏により、碎導山城の麓の現在地へ遷された。
式内社・佐伎治神社に比定されている神社で、
『若狭國神階帳』に「従三位碎導明神」とあり
碎導(さいち)明神・碎導宮などと呼ばれていたが、
天保四年(1833)、佐伎治社と改めた。
明治八年四月、県社に列格。
本社拝殿の左手に境内社・日吉神社があり、
参道が境内左手へ続いている。
参道には、御霊神社があり、
突き当り奥に廣峯神社があって、表参道へ戻る。
拝殿右手には稲荷神社が祀られている。
境内社日吉神社には、明治四十四年五月、
三明字東三明の無格社・天満神社、
宮崎字東宮崎の無格社・山神神社、
立石字清水の無格社・赤松神社を合祀。
大正八年、事代字三ノ丸の無格社・大山神社を合祀。
この中の赤松神社は、『若狭國神階帳』記載の「従三位赤松明神」。
境内社稲荷神社には、明治四十四年六月、
以下の境内七社を合祀した。
産霊神社、松尾神社、木船神社、若宮神社、
伊射奈伎神社、大神神社、水無月神社。
社頭 | 鳥居 |
境内 |
境内 |
拝殿 | 社殿 |
御霊神社 | 日吉神社 |
廣峯神社 | 愛宕神社遥拝所、らしい |
千年松跡 | 稲荷神社 |
妙見山遊歩道入口に鳥居 |
當社概誌
−境内案内板より− |