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高向神社
たかむくじんじゃ
福井県坂井市丸岡町高田1−7−1
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福井県坂井市にある。
JR春江駅の東5.5Kmほどの丸岡町高田に鎮座。
160号線をひたすら東へ進む、北陸自動車道を越えて200mほど。
160号線脇に境内があるのだが、160号線は境内の裏手を走っている。
境内入口は南側。
空き地のような境内で、鳥居の脇に「式内高向神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、参道を進むと石の垣に囲まれて本殿が鎮座。
当地高田は「高向の宮跡」と呼ばれる史跡。
武内宿禰六世の孫高向氏が統治した高向の郷で、
継体天皇の母・振媛命が、継体天皇を育てた宮の跡なのだそうだ。
拝殿も無く質素な境内。
これは、昭和五十五年に再建されたものらしい。
欽明天皇の御代の創祀。
境内の案内によると、五世紀の中頃
近江国高島郡三尾に住んでいた応神天皇の後裔・彦主人王は、
越の坂名井から振媛命を妻として迎えた。
振媛命は男大迹王(後の継体天皇)を生んだが。
まもなく彦主人王が亡くなったので、
幼い男大迹王を連れて故郷 の高向に帰り養育したとある。
祭神は、境内の由緒石碑には
継体天皇の父である彦主人王の祖・応神天皇と母・振媛命とある。
ただし『福井県神社誌』には、継体天皇と振媛命と記されている。
また、三国命、八幡太神、振媛命の父・乎波智君とする説もある。
当社は『古堂様』とも呼ばれ、
振媛命一族の氏神であり、高向郷の総社であったという。
式内社・高向神社に比定される古社だが、
明治三年、国神神社に遷座され、
明治十九年三月二十六日、合祀されて、
社地は水田になってしまったらしい。
後に、現在地に遷御されて祭祀を復興したが
昭和二十三年六月二十八日の福井地震により社殿が倒壊し
昭和五十五年に再建されたという。
本殿の屋根に菊の紋。
天皇を祀る神社なので、菊紋が神紋。
『福井県神社誌』には、十六菊と記されている。
社殿の右手に境内社らしき石の祠が一つ。
社頭 | 鳥居 |
境内 |
本殿 | 境内社と「高向の宮跡」 |
高向の里跡
高向神社には、応神天皇と振媛 が祀られている。 −境内案内板− 丸岡町指定文化財
高向の宮跡
かっての、このあたりが継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」 であろうと推定される。「延喜式」神社帳にある高向神社は、 四字久保庄あたりで『古堂様』と呼ばれ、振媛一族の氏神で あり、高向郷の総社であったとも伝えられる。 −境内案内板− 高向神社由来
今より千四百年前武内宿弥六世の孫高向氏此の地一帯を統治し高向の郷と稱す 後の
高椋村は之による 其の本拠は高田村に在り 高向氏の一女振媛命近江長浜に在住の応神天皇
五世の孫彦主人大臣に嫁す 三児をもうけたるも夫君に先だたれ児を伴いて母在ます
高田村に帰る 第一皇子男大迹王尊長ずるに及び九頭龍川の治水農耕の開発等越前に治績多
し第廿四代武烈天皇没後嗣子なく中央より大連大伴金村物部鹿々火等に迎えられて第廿
五代の皇位につく 後に継体天皇と諡す 御陵は大阪府攝津市藍野に在り当神社は振媛命と夫君祖応神天皇を祀る −由緒石碑− |