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大塩八幡宮
おおしおはちまんぐう
福井県越前市国兼町字榊山22−2
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旧県社 |
福井県越前市にある。
北陸本線・王子保駅の南2Kmほどの国兼町に鎮座。
参道入口に朱の鳥居が立ち、
参道を進むと、丘の前にも朱の鳥居。
境内に入り、参道階段を登ると、
もう一つの鳥居があり、神門がある。
参拝は、日の出の頃。
もちろん、他に参拝客はいない無人の境内。
参道の灯籠には明かりが灯っていた。
神門をくぐると、鎌倉時代の梵鐘(市指定文化財)。
その奥に、室町時代建立、入母屋造杮葺の
大きな拝殿(国重要文化財)があり、
拝殿の後方、一段高い位置に、社殿が並んでいる。
当社の神社配置は、他の神社と若干異なり、
他の神社で神楽殿(舞殿)のある位置に拝殿があり、
通常拝殿のある位置に、独立した幣殿。
幣殿の後方、垣の中に本殿がある。
当社には、重要な境内社も多いので、
各社殿については次のページに記載する。
社伝によると、寛平三年の鎮座。
第五十八代光孝天皇の御代、
仁和三年(887)八月三日、
紀中納言友仲朝臣が、当国国府の南泉島へ流罪となった。
無実の罪を嘆きながら、現在の本殿の位置に
榊を植え、石清水八幡宮の神を祀った。
宇多天皇の御代、寛平元年(889)三月
勅許により京都へ戻ることができた。
これを喜び、神勅を戴いて社殿を造営し
寛平三年(891)八月二十日、
石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社のはじめ。
『明治神社誌料』によると宇多天皇勅願北陸最上當二宮とあり、
越前国二ノ宮と称していたらしい。
鎮座の際、王子保一帯を神領としたことから、
大塩保八幡宮と称するようになり、
江戸の頃に、大塩八幡宮と呼ばれるようになった。
明治四年十月郷社に、七年六月県社に列し、
明治四十三年十月十三日、王子保区内の十二社
(大神下前神社、宇佐神社、愛宕神社、若宮神社、
日野神社、日吉神社、小白山神社、癒瘡神社、
天神社、住吉神社、若宮神社、稲荷神社)を合祀した。
八幡宮なので、神紋は三つ巴。
境内にある式内社については次のページ。
参道入口 | 境内入口 |
参道 |
鳥居 | 神門 |
梵鐘 | 拝殿 |
幣殿から見た拝殿 |
境内 | 境内 |
幣殿と左右の摂末社 |