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春日神社
かすがじんじゃ
富山県砺波市高波1580
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富山県砺波市にある。
JR城端線・砺波駅の北西5Kmほどの高波に鎮座。
48号線に面して北北西向きに境内入口がある。
鳥居の左脇に「春日神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、左手に東宮森公民館。
境内は、雑草が刈り取られ、参道には花が植えられており、
地域の方々によって、綺麗に維持されている神社だとわかる。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は覆屋の中。
拝殿の前面に鉄の門扉が設置されており、輪宝紋が付けられていた。
拝殿屋根の上部にも輪宝紋があり、当社の神紋だと思う。
参拝は晩秋の日の午後。夕方近く。
社殿にオレンジ色の夕陽があたっていた。
創祀年代、由緒は不詳。
『式内社調査報告』に、式内社・長岡神社の論社として宮森の社が挙げられており、
東宮森の春日社か、西宮森の八幡社の何れかを長岡神社とする説があるらしく、
この「東宮森の春日社」が当社のことだと思う。
境内の石碑によると、もともと宮森という村があり、
後に西宮森という新村が出来て、親村である当地を東宮森と称するようになったらしい。
ということは、もし春日社と八幡社の何れかが式内社・長岡神社であるならば、
当社が長岡神社である可能性が高いということだろうか。
同じく、境内の石碑によると、明治四年、
現在地にあった春日社に、神明社、諏訪社、三日春社が合祀されたようだ。
三日春社の祭神は阿弥陀仏だったようだが、現在の祭神には含まれていない。
社頭 |
鳥居 | 由緒石碑 |
境内 |
社殿 | 扉に鍵と神紋 |
夕方の境内 |
春日神社
現在の春日神社は、現在地にあった春日社、
オシンミヤの神明社、西田圃の諏訪社、不喜多の
三日春社の四社が明治四年(一八七一)に合祀されたものである
東宮森
昔、宮森という森があったので村名にしたが、その
後 新村を作ったのでそこを西宮森とし、親村を
東宮森とした−貞享元年(一六八四)に加賀藩へ提出
した書上げより。中世には福岡の大舟城の出城
が、当村南側で東中村境の御館山にあったという。近世の東宮森は、江戸期より明治二十二年までの 村名。当初は砺波郡糸岡郷のうちに含まれていた。 元和五年(一六一九)大滝組、承応元年(一六五二)より明治 三年(一八七〇)まで若林組に属した。明治九年には 石川県、同十六年に富山県に所属。 (以下略) −境内石碑より抜粋− |
【 春日神社 (砺波市高波) 】