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岩瀬諏訪神社
いわせすわじんじゃ
富山県富山市岩瀬白山町103
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富山県富山市にある。
富山駅の北7Kmほどの岩瀬白山町に鎮座。
当社の通称は浦の宮。神通川の河口部にあり富山港の近くに境内がある。
地図を見ると、富山ライトレールという路面電車の競輪場前駅の西100mの位置にあり、
競輪場は駅の東側、当社は西側にある。
鎮座地名の岩瀬白山町は、当社近くの白山神社に由来するもののようで、
白山神社の地に、当社が後から遷座してきて、当社の方が大きくなった感じ。
境内入口は西側の1号線に面しており、西向きに鳥居が立っている。
鳥居の脇には「諏訪神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると手水舎や神馬像があり、参道を右に曲がると社殿。
参道脇に大黒様を祀った摂社が祀られているが、
雪の多い北陸らしく、境内社にもガラスの雪除けの中にあるのが面白い。
参道を進むと正面に銅板葺入母屋造の堂々とした拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿がある。
拝殿には「山王社 諏訪社 神明社」の名が記された扁額。
左手には「聖廟」「天満宮」という扁額も掲げられているが
これは合祀された尾山神社のものだろうか。
当社の正式名は「諏訪神社」だが、
境内の由緒書には「岩瀬諏訪神社」と記されていたので
当サイトでは岩瀬諏訪神社としておく。
創祀年代は不詳。
万治二年(1659)、神通川が洪水で東に転流した時、
住民移住の際に産土神である婦負郡西岩瀬の諏訪神社を東岩瀬に遷座。
その時に、各種材木や道具などを運んだ運搬車が
当社の曳山車の始まりであるという。
その後、文政十年(1827)に諏訪町(富山マリーナのあたりか?)に遷座。
ただし、氏子の希望により移転後の跡地に、
元の鎮座地である岩瀬荻浦町には、通称、カネヤの宮と呼ばれる
諏訪神社・恵比須社が祀られている。
明治十二年郷社に列したが、
昭和十七年に、富山市の都市計画による富岸運河掘削のため、
諏訪町から現鎮座地である白山町に遷座された。
航海安全、商売繁昌の守護神として北前船の船主などから崇敬され、
船名を彫った玉垣や拝殿の船絵馬額が奉納された。
平成十三年、社殿新築に伴い、 梅本町の旧無格社・尾山神社を合祀した。
社殿の屋根や神馬像に梶の葉の紋が付けられている。
諏訪系神社の代表神紋だ。
社頭 |
神馬像 | 手水舎 |
境内 |
大黒様 | 大黒様 |
社殿 | 拝殿 |
聖廟 天満宮 | 山王社 諏訪社 神明社 |
拝殿 | 本殿 |
境内 |
岩瀬諏訪神社
昭和17年、冨岸運河開削に伴い再び遷座、現在の白山町にお鎮まり になり、平成13年5月、現在の新社殿となる。 春季例大祭は、御神輿に随行した14基の「たてもん」という伝統装飾 をした山車を、勇壮に曳くことから、「岩瀬曳山祭り」また「喧嘩山 祭り」との呼称もある。 例祭 5月17日・18日 −境内由緒書− 岩瀬諏訪神社
この神社の祭神は、建御名方神と称し相殿
として天照大神、大山咋神がまつられ、鎮守
としてうやまわれている。一六六〇年頃、神
通川が洪水で東に転流した時に産土神である
西岩瀬諏訪神社を分霊し今の岩瀬萩浦町に遷
座したが、昭和一七年九月富岸運河掘削のた
め現在地に移された。航海安全、商売繁昌を祈願し、船名を彫っ た玉垣や、拝殿の船絵馬額は、かって北前船 に関係した人々が奉納したものである。 またこの神社の祭りは、けんかの曳山とし て有名で、毎年五月一七、一八日勇壮に繰り 出される。 −参道由緒書− 由緒
主神 諏訪神(建御名方命)相殿 天照大神・大山咋命 当社は万治二年(一六五九)に、 西岩瀬より東岩瀬に勧請され 文政十年(一八二七)に諏訪町に 遷座 その後 昭和十七年に、 当地に遷座されました。 平成十三年社殿新築に伴い、 梅本町尾山神社を合祀、五月は 十四台の曳山祭で賑います。
−社頭由緒書− |