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多久比禮志神社
たくひれしじんじゃ
富山県富山市塩690
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式内社 越中國婦負郡 多久比禮志神社 |
富山県富山市(旧大沢野町)にある。
東八尾駅から、神通川を越えて、北東へ1Kmほど。
富山空港からまっすぐ南下して5Km。
神通川・新婦大橋の東側、道路の西側に東向きに鎮座。
参道脇には花が咲き、社殿はコンクリートで西洋風のイメージ。
千木などが無ければ、神社には見えないほど洒落た佇まいだ。
鎮座地・塩から、塩の宮とも呼ばれる神社。
社伝によれば、天武天皇白鳳元年(672)4月、
林宿禰弥鹿伎が、神通川を船で上っている時、
白髪の老人が出現し、そばにあった泉が潮水であることを教え、
塩の生産が可能になったことにより、その老人を神に祀ったという。
また、林宿禰弥鹿伎の夢の告げにより、尊き品を探している時に、
その所在を、白髪の老人が教えたとも。
つまり、当時の塩が貴重なものであり、
塩の採れる鉱泉を祭祀対象としたものだろう。
以上のように、当社は塩と縁の深い神社であるが、
式内・多久比禮志神社に比定されている。
だが、「多久比禮」は、栲布のことであり、
織布に関係する神社であるはずだとして、
呉羽の姉倉比賣神社や呉服神社に比定する説もある。
そうすると、多久比禮志の「志」は何だ?
参道脇の神馬像に、三つ巴紋が付いていた。
鳥居 | 神馬像 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
社殿扁額 | 内部の本殿 |
今から千三百年前、天武天皇の白鳳元年(六七二)四月十二日に林宿禰弥鹿伎という人が部下を率いて神通川を船で上流へ向かって進んでいたところ、たまたま白髪の老人が現われ、一同に語って申すには、向こうの川辺の松の木の際に泉がある。水は塩味を帯びているから、きっと塩がとれる。塩は貴重だから貴方達も大きな恩恵をうけるであろう。早く行って探しなさい。と云い終わると、すつと光を放って姿が見えなくなった。この言葉通りに進むことしばし、緑に囲まれた泉があり、清水は湧き出て地上に溢れています。一同木を伐って薪をを作り、泉の水を煮つめ、やがて最上の白色結晶の塩をとることが出来ました。あの白髪の老翁こそは国魂神であろう。ひとえにわれらに塩を授け給い、この地方を拓けとの託宣であり神授であろう。と感激し、神殿高楼を造営し、老翁を神と崇め祀つて末長く奉仕することになりました。又塩村の呼称もここから起こったものです。 −『平成祭データ』− |
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