[HOME] > [神社記憶] > [北陸地方] > |
|
神代神社
かみしろじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町神代コ1
|
||
能登半島西部・志賀町にある。
志賀町役場から米町川を越えて西へ1Kmほどの神代に鎮座。
境内は神代山という丘の上。
鳥居をくぐり、木々のトンネルの階段を登ると、
正面に拝殿がある。
狛犬は狐なので、稲荷だとわかる。
鳥居は赤くないが、本殿は真っ赤だった。
鎮座地の神代は、「かくみ」と読むので、
一般には「かくみじんじゃ」と呼ばれているという。
「かくみ」の「か」は神、「くみ」は米、
というわけで、米の神を祀ると思われる。
創祀年代は不詳。
一説には、崇神天皇の御宇の勧請というが根拠は不詳。
往古は、本社と奥宮に別れていたが、
明治41年に、奥宮を合祀した。
神紋は、稲荷神社なので、宝珠紋。
拝殿の屋根に、丸に3つの宝珠が載っていた。
鳥居と社号標 | 参道階段 | 社殿扁額 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
神代神社由緒 当社は、崇神天皇の御宇の勧請にして宇迦之魂神を祀り、延喜式内の名社なり。 往古より勅願所として奉幣の事少なからず、畠山満則本国守護の時、当社を崇敬して神領を附し、且つ満則寄付に係る神宝の類甚だ多く有りしが祝融の炎に罹り悉く焼失せりと云う。 嘉祥三年八月より、国内諸神と共に班幣に興り。 文徳天皇仁壽元年正月正六位上に叙し、後円融天皇永徳年間従三位に至る。 朝野群載巻六に、康和五年六月十日神祇官御卜奏に〔坐能登国。気多神。神代神。云々社司等。依過穢神事崇給。遣使科中祓可令祓清奉仕事〕と見える。 明治五年郷社に列せられ、明治四十一年境内社琴平神社に奥宮社を合併、昭和六十三年琴平神社を当社に合併する。 本殿 明治十四年十月再建。 拝殿 平成元年六月再建。 古来この地、神代の宮坂と称し甚だ眺望に富み神代八景として文人墨客が多く来訪したと云う。 志賀八景は明治の初め旧加賀藩士にして国幣大社気多神社宮司加藤里路大人が、地元の歌人河崎公平、桜井格堂、渡辺隆などと当社境内の葛舎亭に登り歌会を開き眼下の風景を眺めて詠ると云う。 −『平成祭データ』− |
【 神代神社 (志賀町) 】