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鹿嶋神社
かしまじんじゃ
富山県下新川郡朝日町宮崎1484

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式内社 越中國新川郡 神度神社 |
富山県朝日町宮崎にある。
8号線から海側へそれた道に北面して鎮座。
もう少し東へいけぼ、もう新潟だ。
山の麓に鎮座しており、木々に囲まれた参道の奥に、
彫刻の施された、なかなかに立派な拝殿。
拝殿の後ろには、本殿はなく鳥居がある。
本殿は、山の中腹、明神林とよばれる場所にある。
遊歩道のような道を十数分歩いた場所。
杉葉に被われた道は、歩きやすく、清々しい。
常陸国の鹿島大神の分霊を祀った神社。
健甕槌命が、能登を廻り、海を渡って宮崎の沖の島に降臨。
島の侵食によって、当地へ移されたものらしい。
その後。佐味郷の守護神となり、
上杉景勝、柴田勝家、織田信長の祈願所となったという。
往時の境内は、非常に広大だったが、明治以降は10分の1。
拝殿の賽銭箱には、菊紋が付いていた。
が、『式内社調査報告』には、「菊花心の剣梅鉢」と書かれていた。
賽銭はこの菊紋を見て、「これだ」と納得し、よく調べなかった。
社殿にも幾つか、神紋が付いていたのだが、写真では確認できなかった。
もう少し注意してみればよかったと、ちょっと後悔。
山麓という位置から、山に対する信仰のような印象だが、
往古は、宮崎の沖にある、沖ノ島に降臨した鹿島大神を祀った神社。
越後との境に近く、国府からみて鬼門の位置にあるので、
要害を守る神として、鹿島大神は最適だろう。
拝殿後方の鳥居は、山の中腹にある本殿のため。
最初、その鳥居をくぐって、登っていくのかと覚悟したが、
横の遊歩道のような道を歩くと、その鳥居のすぐ上を通過して、
山頂まで続いていた。安心と同時に、少し興醒め。
社域 |
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北向きの境内入口 ![]() | 境内 ![]() |
境内 |
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社号標 ![]() | 拝殿 ![]() | 拝殿扁額 ![]() |
拝殿の裏には鳥居 |
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城山山頂まで1.7Km 遊歩道のようになっている ![]() | 中腹近くにある本殿 ![]() |
鹿嶋神社
伝承では、大昔、祭神のタケミカズチの神が、沖にかすむ能登を巡り
はるばる海を渡って宮崎に岬に着き
辺地を鎮め、東漸の祈りを捧げた沖
の島に社があった。これが海の侵食
によって現在地に移されたものと言
われる。鹿嶋神社は、宮崎城の地に位置す るところから、要害の鬼門よけと、 屋根からの攻口を守る禁足地として 境内の鹿島樹叢とともに、歴史の城 将や加賀の前田氏に保護され、佐味 郷(朝日町内)の守護神ともなって いた。 現在は宮崎地区の氏神として祭ら れ、春の例祭には朝日町指定の無形 文化財「稚児舞」が家々をまわる。 −境内案内− |
【 鹿島神社 鹿嶋神社 】
