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大瀧神社
おおたきじんじゃ
福井県越前市大滝町13−1  Zenrin Data Com Maps display !!

大瀧神社

五三の桐

岡太神社


旧県社

御祭神
國常立尊 伊弉諾尊 伊弉那美尊

境内 式内社 越前國今立郡 岡本神社
岡太神社 川上御前

福井県越前市にある。
武生駅の東9Kmほどの大滝に鎮座。
武生駅から日野川を東へ渡り、
北陸自動車道を越えてしばらく走ると、
道路に大きな赤い鳥居。鳥居の側には、
「岡太神社 大瀧神社」と刻まれた社号標。
さらに、進むと境内入口の鳥居が立っている。

境内に入ると、左手に一段高く回廊に囲まれて社殿。
階段を上り、神門をくぐると、正面に見事な拝殿・本殿が立っている。

当社社殿は国の重要文化財に指定されているのだが、
以前参拝した時は、雪の残る季節で、
社殿には雪除けためのテント地の幕が張られ
まともに写真撮影が出来なかったので、再度参拝しての撮影。
GWの真っ只中であったため、新緑の境内はとても爽やかな印象だ。

大瀧神社は、加賀の白山・福井の平泉寺に次ぐ修験道の霊場で、
『越前国神名帳』には「従一位 大瀧大明神」とあり、
明治元年までは、正一位小白山大瀧六所権現児御前と称し、
日野川以東48ヶ村を氏子とする国内有数の大社であった。

社伝によると、推古天皇の御代(6世紀)大伴連大瀧により勧請され
その後、白山を開き、越の大徳と称せられた泰澄大師が
元正天皇の命を受けて、養老三年(719)、大峰山(大徳山)に登り
17日間の参籠・祈願の後、地主神として岡太川上流に祀られていた
紙祖神・岡太神社を御前立として、国常立尊伊弉諾尊の二柱を主祭神とし
11面観音を本地仏として、山上山下に社殿堂宇を建て、霊場を開き
別当寺として大徳山大瀧寺を建立し、社僧を置いて神事を司らせたという。

よって、当社は権現山山上の奥の院と、山麓の里宮によって構成される神社。
山上には、大瀧神社・岡太神社の二社殿が建っているが、
里宮では一社殿に二神社を祀る形式となっている。

岡太神社は、式内社・岡本神社の論社の一つ。
その創祀は、社伝によると、
継体天皇が皇子として当地に潜んでいた頃(499)
岡太川の上流、水清き宮ケ谷に女神が出現し
「この村里は谷間故田畠少なく生計を立てることは難しい。
幸い清らかな谷水に恵まれているから紙を漉けばよかろう」
といい、自ら紙の漉き方を教えられたという。
村人は、川上御前と崇め、地主神として岡太川上流宮垣と呼ばれる山腹に
岡太神社を建て、紙の祖神・岡太大神として祀ったという。


参道の大鳥居

大鳥居側の社号標

境内入口

境内

神門と回廊

神門

重要文化財の社殿

境内左手に境内社

社殿横から

夏の社殿

冬の社殿

当社の裏から少し進むと、権現山へ登る道がある。
が、その道には、「熊出没」という警告板が設置されていた。
どうやら熊が出るらしい。
以前、冬に来た時も、熊出没の案内は出ていたが、
雪の残る時期だったので、注意しながら山頂まで登ったが、
今回は山頂まで登っていない。

ということで、以下の写真は冬のもの。
だから、残念ながら、里宮同様雪除けのため、
社殿の写真はテント地の写真なのだ。
写真は残念だったが、雪の山道を登り、
時折、木々から落ちてくる雪の塊に驚き、
登り道で熱る顔や手に、雪をあてて、
その冷たさに感謝しながらの参拝は冬ならではのもの。
モノトーンな境内は、それだけで神秘的なのだ。


権現山登山口

参道

中腹の鳥居

さらに参道

奥の院境内

奥の院境内

社殿

大瀧神社社殿

岡太神社社殿

大瀧神社
紙祖神岡太神社
御祭神
旧県社大瀧神社
  国常立尊 伊弉諾尊
式内社
紙祖神
岡太神社
  川上御前(岡太大神)
 当神社は神体山である権現山(三二三メートル)の山頂付近に建つ奥の院(上宮)と里宮 (下宮)とから成り立ち、奥の院には大滝神社と岡太神社の本殿が並び建っている。この山麓 にある社はその両社の里宮である。大滝神社の創建は、社伝によれば、推古天皇の御代(五九二− 六三八)大伴連大滝の勧請に始まると伝えられている。
 ついで、奈良朝に至って元生天皇の養老三年(七一九)、越の大徳と称せられた泰澄大師が この地に来り、大徳山を開き、水分神であり紙祖神である川上御前を守護神として祀り、 国常立尊伊弉諾尊の二柱を主祭神とし、十一面観音をその本地とする神佛習合の社を建て、 大滝兒大権現、または小白山大明神と称し、その別当寺として大滝寺を建立し、 社僧を置き神事を司らしめらことを伝えている。
 岡太神社は、この村里に紙漉きの業を伝えたとされる川上御前を祀り「延喜式神名帳」(九二六) にも記載されている古社で、往古よりこの神域に摂社として祀られた。この紙祖神としての川上御前に対 する里人の信仰は篤く、神の教えに従い古くから大滝神郷一円を中心に、優れた紙を漉いてきた。
 中世には大滝寺は平泉寺の末寺となり、四十八坊の堂塔伽藍が山頂、山麓に並び、社僧 も六、七百人を擁して隆盛を極め、神領七十余町、日野川以東の村落四十八ヶ村を氏子とする にいたった。南北朝時代には足利の軍勢に抗し、その兵火により一時衰退するが、室町時代の中葉、 国主朝倉氏の帰依篤く、再び社運は興隆した。天正三年(一五七五)、織田信長の一向一揆攻略の際 再度兵火に会い、一山ことごとく灰燼に帰したが、その後に領主となった丹羽長秀の保護により漸く復興することになる。
 江戸時代には、初代藩主結城秀康を初め代々藩主の崇敬篤く、兵火のため焼失した社殿も再建された。 その後、老朽化により天保十四年(一八四三)には江戸後期の社殿建築美の粋を尽くした現在の里宮 の本殿、拝殿が再建された。明治維新後、神佛分離令によって「大滝児大権現」は大滝神社と 改称され、昭和三年には県社に列せられ今日に至っている。
 なお、大正十二年七月には、大蔵省印刷局抄紙部に摂社岡太神社の御分霊が奉祀され、 紙祖神川上御前は名実ともに全国紙業界の総鎮守として多くの人々の信仰を集めている。
 昭和五十九年(一九八四)五月二十一日、現里宮の本殿・拝殿がその歴史・記録の確かさと 建築の美しさを認められ、国の重要文化財として指定を受けた。
 さらに、平成四年(一九九二)五月、神門・回廊・奉楽殿が造営され、ますます神威 が高まり、調和された輪奐を遺存するものとなった。
祭礼
春例祭五月三日−五日
秋例祭十月十一日−十三日
式年大祭(御開帳)三十三年目毎
御神忌(中開帳)五十年目毎
文化財
重要文化財
 本殿・拝殿一棟(天保十四年建立)
文化財(県・町指定)
 奥の院岡太神社本殿(江戸初期再建・町指定)
 奥の院大滝神社本殿(江戸中期再建・町指定)
 神宮堂木造虚空蔵菩薩像(平安時代・県指定)
 観音堂木造十一面観音坐像(平安時代・町指定)
天然記念物(県指定)
 大杉(奥の院付近)根回り九・八メートル 高さ二十三メートル
 ぜんまい桜(  同  )根回り四・五メートル 高さ十八メートル
 ブナ社叢林(  同  )

−境内案内板−



【 大瀧神社 (越前市) 】

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