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日置神社
ひきじんじゃ
福井県大飯郡高浜町日置字半ノ木49−23
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式内社 若狭國大飯郡 日置神社 |
福井県の高浜町にある。
小浜線・三松駅の西1Kmほどの日置に鎮座。
青郷駅と三松駅の中間地点にある。
27号線の日置交差点から南下し、
小浜線を越えて、新しい道を進んでいくと参道入口に到着する。
が、神社を示すものが無いのでわかりにくい。
車道から山側へ上る坂道に、小さな祠があるのでそれが目印。
その祠には、細い竹で作られた弓矢が飾られていた。
初めて見た飾りだが、安価に、そして簡単に出来そうだ。
面白い。
セメントの坂道を登っていくと、すぐに社殿のある境内。
境内は森の中にあり、静かで清々しい神域。
苔むした階段を上り、鳥居をくぐると正面に社殿。
社殿は、覆屋の納まった本殿のみ。
覆屋の前に庇が付けられ、簡易な拝殿を兼ねている。
当社の社号・日置は「ひき」「へき」「ひおき」などと呼ばれていたが
現在は「ひき」。
創祀年代は不詳。
『若狭国神名帳』に「正五位日置明神」とあり
式内社・日置神社に比定されている古社。
享保十四年(1729)、
当時の神主一瀬喜兵衛尉藤原定住が『日置之神社伝来之略記』に
「聖武天皇の御宇には、三松と日置の間に鎮座」と記している。
さらに「御祭神の神秘な光は、あらゆる方向に輝き渡って
目出度いことや不思議なことが起こった」とも。
祭神は応神天皇。
異説として、日置朝臣の祖神。
日置朝臣は、応神天皇の皇子大山守王の後裔らしいので
応神天皇でも同じことか。
永享年中(1429〜1441)に
内之浦小黒飯城主大草伊賀守忠基公が
日引邑に社殿を遷し、兵家の守護神としたが、
宝徳元年(1449)九月九日、神託があったので
現在地杉谷に遷したという。
その後、戦乱によって荒廃したが享保十四年に再興された。
荒神山の麓にあり、
中世から近世にかけては、単に「荒神さん」と呼ばれていた。
これは、康永三年(1344)、日引の瑞泉寺を日置に遷し
日置神社の神域を侵して寺を建てたため、
まるで寺の鎮守のような形になったためだそうだ。
境内の左奥に境内社の祠があるが詳細は不明。
『福井県神社誌』には、境内社として八幡神社の名が記されているので
八幡神社かもしれないが、参道入口にも祠があった。
到着時には気付かなかったが
参拝を終え、坂道の参道を下っていると
若狭富士とも呼ばれる美しい青葉山が正面に見えた。
社域入口 | 入口に弓矢付きの境内社 |
参道 |
社域 |
鳥居 | 社殿 |
境内社 | 社殿 |
本殿 |
参道正面には青葉山(若狭富士) |