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氣多神社
けたじんじゃ
富山県射水市西新湊17−9  Zenrin Data Com Maps display !!


御祭神
大己貴命

富山県射水市にある。
高岡−射水間を走る路面電車・万葉線の射水市新湊庁舎前から
南へ200mほどの西新湊に鎮座。

境内は道路に面して東向き。
境内入口の社号標や拝殿の扁額には「氣多神社」とあるが、
神社庁の資料には、当社の社号は「気多社」とあり、
気多社が正式な名前なのかもしれない。

鳥居をくぐると、参道両脇には丁寧に管理された植木が美しい。
参道を進むと松の枝が斜めに交差しており、
自然と頭をかがめて参拝することになって、
天然の鳥居となっているようで面白い。

拝殿は向拝の突き出た瓦葺。
背後の本殿は瓦葺覆屋の中にあり確認できなかった。

創祀年代は不詳。

『富山県神社誌』によると、
伏木鎮座一宮気多神社の本社であると口伝されているらしく、
気多神社に運慶作と伝えられる狛犬の立形像があり高岡市文化財となっているが
当社には同じく運慶作の狛犬の跪坐象があるらしい。

ただ、伏木の気多神社は、能登・気多大社からの勧請とするのが通説。

能登は、養老2年(718)に越前から分立し、天平13年(741)越中に合併。
その時点で、能登の気多大社が、越中全体の一宮であった。
その17年後の、天平宝字元年(757)に、再度分立しているため、
その頃に、国府に近い伏木に、分霊を祀ったものと考えられている。

あるいは能登越中の分立以前に、
越中側に能登気多大社の遥拝所が越中国内各所に既にいくつか存在し、
その中で国府に近い社が一宮になったと考えると
各所の遥拝所の創建経緯や創建順などから、
当社が伏木の社より先にあったということなのかもしれない。

また、伏木の社は天文年間(1532‐55)の兵乱で焼失し
御魂代を奉じて西北4Kmの尾崎山に避難し、戦乱後に再興されたが、
この戦乱の時、小矢部川・庄川を越えた東方の当地へ避難し
当地で祭祀を継続した氏子や神職が、
再興の際に伏木へ遷ったということは考えられないだろうか。

境内の右隅に「水利功労者 菅谷清平之碑」と刻まれた石碑があった。
この方が何をした人物なのか調べていないが
当地の水利管理に尽力された人なのだろう。

このように実在した人物の業績を称える顕彰石碑が
神社境内にあるのが良いな、と、最近感じている。


社頭

鳥居

社殿

境内

本殿覆屋

拝殿扁額

社殿


【 気多神社 (射水市) 】

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