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阿良加志比古神社
あらかしこひこじんじゃ
石川県七尾市山崎町カ30
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式内社 能登國能登郡 阿良加志比古神社 |
石川県七尾市にある。
七尾駅から、南東に直線8Kmほどの山崎に鎮座。
日本海に沿って走る160号線から、
花園辺りで西へ入る道路を2Kmほど進み、
狭い道を左に入り、500mほどで当社の社前に到着する。
参拝日は、小雨の降る休日。
傘をさしながらの参拝。
写真では明るく写っているが、本当は暗くドンヨリとした天候。
鳥居をくぐり、参道の階段を緩やかに登る。
参道の途中に、大き目の社殿があるが、境内社だろうか。
『石川県神社誌』によると、東枝神社という境内社があるらしい。
さらに参道を登ると、正面に当社の社殿が見えてくる。
階段を登りきる場所、参道の左右に、
自然石の上に置かれた狛犬が、自由な雰囲気で面白い。
創祀年代は不詳。
天正年間の上杉謙信侵攻による兵火のため、
古記録等を失ってしまったという。
当社は、大呑熊六合郷の総社として崇敬された神社で、
式内社・阿良加志比古神社に比定されている古社。
祭神は、この地方在住の老翁であり長者であったと伝え、
地方開拓の祖。
郷内に、毒蛇や悪鳥が棲み付き、人畜を害していた。
ある時、祭神が、海岸(今の釜崎のあたり)で塩を焼いていたところ、
沖から小舟に乗って寄り来た神・少彦名神と出会い、
ともに謀って、毒蛇・悪鳥を退治。
人々はようやく平和な生活が送れるようになった。
その後、郷民によってこの地に宮殿が建てられ、
当地の産土神として祀られたという。
また、少彦名神は黒崎の宿那彦神像石社に鎮まったという。
社殿の前には、「阿良加志比古神社 宿那彦神像石社」
と刻まれた社号標が立っている。
拝殿前の賽銭箱に、三つ巴の紋が付けられていた。
鳥居 | 参道 | 社号標 |
境内 |
岩に乗った狛犬 | もう一つ |
拝殿 | 参道の社、東枝神社か? |
延長弐年、藤原忠平撰集「延 喜式巻第十」府能登郡十七座末行阿良加志比古神ノ社末筆貞宿那彦神像石社登録須 第百弐弐代明治天皇拾四年辛巳歳 遷暦「大解除式」第弐拾回解齋登在留乎 逆算すれば初回波聖武帝神亀天 平拾参年辛巳歳「蔵闢良岐」されたこととなる 亦、奈良正倉院の御物丹物乃調 庸銘が当大宮乃鎮座地名尓合致 萬葉集乃國守家持卿乃出擧乃歌 3881 珠洲能宇美尓朝闢らきして榜ぎ来れば 奈我濱乃浦尓月照り尓家里 右、治布尓遷る時之を作る 註に 治布波大沼郡(元の郡名) 今、大呑熊郡別山東邑小宇治布夫の地名其れならむ 神護院霊夢山眞言布陀樂寺 別当舎跡地は治布大門なり。 −参道石碑より− |
【 阿良加志比古神社 (七尾市) 】