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手向神社
たむけじんじゃ
富山県氷見市柳田2926
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富山県氷見市にある。
氷見駅の南2Kmほどの柳田に鎮座。
415号線に面して、南西向きに境内がある。
参拝は10月の早朝。日の出の頃。
鳥居をくぐり境内に入ると、社殿の灯りがオレンジ色に灯っていた。
鳥居の右手に「手向神社」と刻まれた社号標。
参道の右手には手水舎があり、左手に境内社。
『平成祭データ』には摂末社として金比羅社(崇徳天皇)の名が載っているが、
『富山県神社誌』では本殿の祭神として記されている。
参道を進むと、堂々とした社殿。
瓦葺入母屋造の拝殿があり、拝殿の後方の本殿は覆屋の中。
拝殿の扁額には「手向神社熊㙒宮」とあるが、
かっては熊野社とも荊宮(いばらのみや)とも称されていたらしい。
創祀年代は不詳。
『三代実録』に、元慶二年(878)五月八日、
「授越中国正六位上手向神従五位下」とある古社。
天保十五年十月十五日、神祇道管領長より
手向社熊野宮の神宣状を授与された。
『富山県神社誌』によると、元来、手向の神というのは、
開道の時に熊野大神に手向け給えた時の御名であるとあり、
万葉集の「多麻保許乃美知能可未多知麻比波世牟
(たまほこのみちのかみたちまいはせん)」は、
越中の美知能神(道の神)が手向けした神徳を詠ったものという。
氷見市内には、もう一つ手向と称する社があったが
現在、郷社・日吉神社に合祀されている。
ちょっと気になったが、そちらの社は国史見在社などの由緒はないのだろうか。
拝殿の屋根に、半分の菊紋と半分の桐紋を並べた紋が付けられていた。
当社の神紋だろうか。
左の菊紋は、半分なのに十二弁の花なのが面白い。
社頭 |
鳥居 | 境内社 |
境内 |
社殿 | 拝殿扁額 |
境内 |
本殿覆屋 | 社殿 |
【 手向神社 (氷見市) 】