[HOME]  >  [神社記憶]  >  [北陸地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


荒石比古神社
あらいしひこじんじゃ
石川県七尾市川尻町チ1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 能登國能登郡 荒石比古神社
旧村社

御祭神
石凝姥命 倉稻魂命

石川県七尾市にある。
のと鉄道七尾線・田鶴浜駅の北東500mほどの川尻に鎮座。
川尻川の東側、河口近くに境内がある。

境内は集落の北側、境内入口は南。
境内全体が一つの木の塊のような印象の神社。

参拝は、十月の休日の午後。
周囲で工事でもやっていたのだろうか、
工事作業の方が、境内の木蔭で休憩中。
休憩の邪魔をしながらの参拝だ。

境内の奥に社殿があり、後方に本殿らしき社殿がある。

社伝によると、神功皇后三韓征討の帰途、
御乗船の一部が風浪のため、川尻に漂着。
その武将と従者が、垣吉に居住し、
守護神を、山間の地に祀ったのが創祀。

その後、神示によって、現在地、通称大宮地に社殿を造営し
奉遷したと伝えられている。

祭神は、荒石の名から、石凝姥命となっているようだが、
少彦名神という説もある。

相殿の倉稲魂神は、明治四十年に合併した稲荷社のもの。

中古は薬師十二神社とも称した古社で、
式内社・荒石比古神社の論社の一つ。

社殿の屋根に、巴紋らしき文様が付いていたが、
破損していて正確な形がわからなかった。
ということで、神紋は不明。

境内に休憩中の人が居たので、
あまり邪魔にならないように、さっさと参拝して終了したので、
ちょっと心残りな参拝。


社域

社殿

社殿

境内

鳥居

拝殿扁額

本殿

延喜式内社荒石比古神社由緒
田鶴浜町川尻に鎮座まします荒石比古神社は、 その昔一千年前、第六十代醍醐天皇の御代既に、 延喜の制定められし時の式内社として全国三千一 百三十二座の中の一に数えられて古来藤原前期よ り崇敬し奉つて来たのであります。
往古千七百年前、神功皇后征韓御帰途の折御来船 の一部風浪のため川尻に漂着され給いその武将 は従者と共に垣吉に居住されその守護神を垣吉 の山間に奉祀し社号を荒石比古神社と称され給う たのがその創祀であります。その後神示によって 通称大宮地先つ森とも云われし現鎮座地に社殿を 造営し遷し奉まつったと謂い伝えられております。
御祭神に石凝姥命倉稲魂命であらせられ中古両 部神道の旺盛なる頃は薬師十二神と崇められ尊崇 極まりない神様でありまして又都怒我阿羅斯等命 とも云われております。石凝姥命は高天原におい て天照大御神 天岩屋戸えこもられ給うた時三種 製作につき御高績を現わされ御鏡を鍛え造らせ給 い大御神様の御顔を写し奉つた御由緒御事績が古 事記にも書かれてあるのであります。その御鎮座 地は遠く源を鞍掛山麓から流れを発し悠久川尻川 の流れと共にその辺に皇神奉斉にふさわしく先つ 森の大宮地と往古より称えて鎮座ましました隆盛 が偲ばれるのであります。私達は、私達のいのち を御守り下さる氏神様を始め奉り生活をさせて下 さる倉稲魂神を心からお祀りされた祖先の方々の 報賽に感謝し誠を捧げねばならぬと思う次第であ りますので漸次御社殿並に御境内を清く明るく整 備し神様に美しくして差し上げたいと茲に有志の 方々の御協力を仰ぎ御奉賛をひたすら御願い申し 上げる次第であります。

−境内石碑−



【 荒石比古神社 (七尾市) 】

ボーダー




北陸地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
富山県
下新川郡 朝日町
下新川郡 入善町
滑川市
魚津市
高岡市
黒部市
射水市
小矢部市
中新川郡 上市町
中新川郡 立山町
砺波市
南砺市
氷見市
富山市

石川県
かほく市
羽咋郡 志賀町
羽咋郡 宝達志水町
羽咋市
加賀市
金沢市
鹿島郡 中能登町
七尾市
珠洲市
小松市
能美市
白山市
鳳珠郡 穴水町
鳳珠郡 能登町
輪島市

福井県
あわら市
おおい町
越前市
吉田郡 永平寺町
今立郡 池田町
坂井市
鯖江市
三方郡 美浜町
三方上中郡 若狭町
小浜市
大飯郡 高浜町
大野市
丹生郡 越前町
敦賀市
南条郡 南越前町
福井市