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八心大市比古神社
やごころおおいちひこじんじゃ
富山県黒部市三日市1036
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富山県黒部市にある。
富山地方鉄道・電鉄黒部駅の南、三日市に鎮座。
黒部川河口に近く、黒部川によって形成された扇状の平地。
駅の南を通る県道の南に境内があり、南北に境内入口がある。
境内に入ると「八心大市比古神社遺跡」と刻まれた石碑がある。
天正八年、この場所に社殿があったが、方位が良くないと移転した跡。
参道を歩いて、西へ曲がると、
正面に、昭和十七年再建の社殿。
木曽帝室御料材払い下げであるヒノキ材を使用したもの。
後方に本殿があるが、本殿の後方にはNTTの鉄塔が聳えている。
往古の境内は、かなり広く、県道などによって分断されて、
現在飛び地境内となった場所に、
三島の大ケヤキと化藤があり、その根元に地神塚がある。
参拝は四月の午後。
低くなった太陽を背景にした、東向きの社殿の撮影は、
なかなか苦労してしまうのだ。
創祀年代に関しては、幾つかの説があるようだ。
一説には、孝謙天皇の御代の勧請という。
また、鎮座地の東方にある嘉例澤村の山頂から
早朝(鶏の鳴く頃)御幣が飛んで三日市に留まり
土地の人々が祀ったところ、三体の神像が出現し、
三島大明神と称されて信仰されたとも。
鎮座地は、桜井と呼ばれる地にあるが、
佐野常世が、伊豆の三嶋神社を崇敬し、
三嶋神社の桜一枝を取り寄せて、当社境内の木に接木したことから、
当社を三島大明神と称されるようになったとも。
このように、明治以前は、おもに三島明神と呼ばれ、
現在でも、三嶋さんと通称されているという。
また、もとは現在地の北500mほどの「かやむ堂」に鎮座していたが、
天正八年(1580)、現在地に遷座したという記録もある。
当社氏子の間では、鶏を神使いとして神聖視し、
鶏の絵馬も奉納されている。
当社の神紋は、「桜井桜」と呼ぶと、
『神社名鑑』に記されている。
どのような桜紋なのか、わからないが、境内で見た桜紋は、
桜の花の中に、もう一つの桜があるような形だった。
これが桜井桜だろうか。
旧社殿址 | 鳥居 | 三島の大ケヤキ |
境内 |
地神塚 | 社殿 |
境内社 | 本殿 | 拝殿 |
由来
この神社は、延長五年(九二七)の延喜式神明帳に記載さ
れている式内社である。祭神は、大山祇神・少彦名神・迦具土神で昔から五穀豊 穣の守護神として、町民はもとより近郷の人たちに「三島 明神」といわれ、崇敬されてきた。 神社には、慶長元年(一五九六)獅子頭を奉持して家々を 回り、家内安全・無病息災を祈った「御獅子頭御入之家」 の古文書や寛文四年(一六六四)に寄進された鰐口、元禄二 年(一六九八)作の鶏之図絵馬など社宝として保存されて いる。 市指定の天然記念物「桜井の化藤」「三島の大ケヤキ」が 神社の飛び地にある。 明治六年(一八七三)県社に列せられた。 昭和十七年(一九四二)社殿が木曽のヒノキ材で造られた。
由来
元禄二年(一六八九)四月に奉納された絵馬で「鶏」の
絵馬では県内最古のものである。横幅六十センチメートル・縦幅四十一、三センチメー トル・額縁丸の厚さ一、二センチメートルで、杉の一枚 板、板地着色である。 威厳さをもつ雄鶏と、和やかさをもつ雌鶏のつがい絵 で、表に「奉掛御神前望叶成就所 敬白」「元禄貳巳歴卯 月吉日 三日市銭屋利太郎」 裏に「三島大明神宮守左内御印 橘式部卿陰陽師左門」 と墨書されている。 古来、八心大市比古神社の氏子は、鶏を神の使いとして 大切にし、神聖視して今日に至っている。 −境内案内板− |