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高階社
たかしなしゃ
富山県氷見市一刎2075
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式内社 越中國射水郡 草岡神社 |
富山県氷見市にある。
氷見線・氷見駅の北西13Kmほどの一刎に鎮座。
160号線を北上し、余川川に沿って304号線・70号線を北西へ。
一刎に入って、ウネウネと上へ、奥へ進んでいくのだが、
言葉では上手く説明できない場所に、道路に南面して参道入口がある。
当社には鳥居が無く、石段の両脇に幟を立てる旗竿が立っているだけ。
僕は注意しながら車を運転していたつもりだったが社前を行き過ぎてしまい、
しばらく上って引き返した時に入口を見つけた。
十段ほどの石段を上ると、以後は山道。
地図で見ると200mほどの土の道を10分ほど上ると、
参道両脇の二本の木の間に注連縄。
この木が鳥居の役目をしているようだ。
この鳥居の木の注連縄をくぐると参道奥に社殿が見える。
当初、鬱蒼と茂る木々や雑草に覆われて朽ち果てた社殿を想像していたが
参道も歩きやすく、雑草も刈り取られており、
境内の木々も処理されているようで、スッキリとした境内だ。
社伝によると、天平年間、
石動山の伊須流岐比古神社(五社大権現)にならって、
能登・越中国境の高峰に五社を建て、
正徳書上帳に「五社大権現、能州石動山社人清水伊勢守相勤来」、
文化二年社号帳に「五社、清水丹波守持宮」とある神社。
文政十年の「一刎村氏子左流」という記録に、当社に関して以下の記述があるらしい。
高岨の麓に本宮があって、その下に火の宮があった。
その並びに都々迦彦堂という旧地があり、
また、真孝坊という別当の旧地もあった。
引尾の干場という所にも別社を建てたが、「怪事」があったため、
別社を閉じて、拝殿を明神へ建て替えた。
享和元年、「奇瑞」により、往古の社号・高階に戻した。
かつては日之宮とも称していたが、
地震のために氏子人家が滅亡したため、草岡神社に合祀した。
この草岡神社が、式内社・草岡神社の論社となっているようだ。
後、人家が増えて来たので、江戸時代に現在地に社殿を建てて高階社とした。
伊須流岐比古神社の五社大権現とは
大宮大権現・客人大権現・梅宮大権現・火宮大権現・剣宮大権現だが、
当社の五社大権現は、
コウカイ社・ヒノミヤ権現・蔵王権現・ゴオウギ権現・デガクチ権現。
このコウカイが高階で、五社の中心、本宮なのだろう。
現在の祭神は迦具土命一柱だが、
かつては五社それぞれの地に一柱ずつ祀られていたと言う。
拝殿の床下に、菊紋を付けた鬼瓦があった。
昔の社殿の屋根のものだろうか。
参拝を終えて山道を下り、再度、鳥居の木をくぐる。
上っている時は、上に見える社殿に気を取られて気付かなかったが
木の注連縄より上の部分の枝が、蛇のように左右に広がっていた。
このように枝を広げた木は、普通に見られるけれど、
注連縄と合わせて見ると、どこか怪しげな雰囲気。
参拝した日が曇天で、参道も暗かったせいかもしれないが。
当社に関する記録にも「怪事」「奇瑞」などが記されており
国境の人里離れた山奥の神社には、いろんな事が起こっていたのかもしれない。
参道入口 | 参道 |
参道。日本の木に注連縄 |
鳥居のような木 |
参道奥に社殿が見える | 境内 |
境内社殿 |
拝殿 | 本殿覆屋 |
下りで見た鳥居の木 |