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熊野神社
くまのじんじゃ
福井県福井市布施田町1−20
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式内社 越前國坂井郡 英多神社 |
福井県福井市にある。
えちぜん鉄道・西春江駅の西4.5Kmの布施田町に鎮座。
九頭竜川にかかる布施田橋を渡り、
一本北へ入った道に境内入口がある。
境内入口は南向き。
参拝は五月の連休。
晴天の青空の下、参道の旗竿には鯉のぼりが泳いでいた。
参道を進み、階段を上ると境内。
地図で確認すると、境内入口は確かに布施田町だが、
階段上の境内は三宅町になるのかもしれない。
とにかく、境内に上がると、もう一つの鳥居。
広い境内の奥(北側)に、社殿がある。
拝殿・本殿は入母屋造だが、
本殿は、覆屋の中にあるのかもしれない。
拝殿の扉の隙間から見たところ、そんな雰囲気だった。
『福井県神社誌』にも、本殿は流造となっているので、
この入母屋造の覆屋の中に、本殿があるのだろう。
創祀年代・由緒は不詳。
式内社・英多神社に比定されている神社だが、
否定的な意見もあるようだ。
「英多」という文字は、
通常「えた」か「あがた」と読むが、
『越前鹿子』には、英田村を「ふせだ」と読み、
現在の布施田に宛てている。
つまり、式内社・英多神社は、「ふせだ」の神社と考え、
布施田鎮座の当社を式内社とする。
祭神は、熊野櫲樟日命だが、
当社が英多神社であれば、継体天皇四世孫の難波王とする説もある。
『式内社調査報告』によると
明治九年三月、村社に列し、
大正三年四月十五日、
東山下の八幡神社と上垣内の神明神社を境内社として移転。
後、社地がプールとなったため、
昭和二十七年、現社地に遷座されたという。
参道階段脇に、「八幡神社旧跡」と刻まれた石碑があったが、
これは、当社境内に移転された八幡神社だろうか。
とすると、大正期に八幡神社を境内に迎え、
昭和期に、その八幡神社跡地に遷座したことになるのか。
ところで、プールになったという古社地は何処にあるのだろう。
神紋に関して、『福井県神社誌』には記載が無い。
参道の手水鉢には三つ巴の紋があり、
拝殿内の幕には、輪宝紋が染められ、
社殿屋根瓦には、葵紋が付けられていた。
これらのどれかが神紋か、
あるいは、すべてが神紋か、
あるいは、どれも違うのか判断できない。
境内入口 | 参道 | 階段途中に八幡宮跡 |
境内 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |