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神杉伊豆牟比咩神社
かみすぎいずむひめじんじゃ
石川県鳳珠郡穴水町中居ワ153−1

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能登半島・穴水町にある。
のと鉄道能登線・中居駅から500mほど南の中居に鎮座。
七尾湾に突き出た岬の丘の上。
海沿いの道路から少し入った場所にあり、
ちょっと分かりにくいが、隣に幼稚園らしきものがあり、
園児たちが遊んでいた。
鳥居は狭い道に面しており、周囲は木々が茂って鬱蒼とした神域。
参道をあるくと正面に社殿。
本殿は鎌倉時代の流造らしいが、覆屋の中で見えず。
六所の宮(ろくしょのみや)と呼ばれていたお宮。
鳳至郡の式内社・神杉伊豆牟比咩神社の論社だが、
現在は否定されている。
理由として、当社の鎮座する中居は、鳳至郡ではなく能登郡であること。
社伝でも、寛和元年(985)に式内社・神杉伊豆牟比咩神社を勧請したとなっている。
貞享二年の由来書上では、武内宿禰により建立され、荒志社とした。
その後、天武、近衛、六条天皇の祈願所となり、和銅二年神杉六所宮と改称。
神杉とは、鎮座地の通称である杉加平が転じたもの。
六所とは、武内宿禰が六帝に仕えたことかららしい。
本殿の右手に境内社が一つ。
栄浜神社(倉稻魂命 猿田彦大神 大宮之賣命)。
祭神が示すとおり、稲荷神社だ。
当地から樺太へ移住した人々が、現地に祀っていたものだが、
戦時中のソ連侵略により破壊され、宮司によって密かに札幌に奉安。
戦後、この地に遷座したもの。
他に、社殿の前に境内社が二つ。
詳細は不明だが、門神のようにも見える。
『平成祭データ』には、当社の末社として、以下の2つが記載されていた。
荒志社(素戔男命)、杉平神社(武内宿禰命)。
荒志社は、本社の相殿に祀られているらしい。
神紋は、菊の裏紋。
社殿の幕に、鮮やかに染められていた。
鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
社殿 |
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社号標に六所宮 ![]() | 境内社・栄浜神社 ![]() | 境内社 ![]() |
神杉伊豆牟比咩神社(六所さま) 鳳至郡穴水町中居 能登線中居駅二百米 祭神 大名持命・伊豆牟比咩命・三穗津比咩命 例祭 四月二六日・八月三一日 神紋 十六弁裏菊 建物 本殿流造六坪余 境内 一、五〇四坪 社宝 神鏡(青銅八つ花形)神鏡(青銅円形) 氏子 一五〇戸 崇敬者 五八〇人 由緒=花山天皇の寛和元年に当郡の式内神 杉伊豆牟比咩神を勧請したものという。もと 神杉六所大明神と称した。近衛・六条・順徳 各天皇御歴代の御祈願社と定められた。本殿 は鎌倉時代末期の建立にかかり古美術の粋を 表している。明治五年郷社に列した。 −『全国神社名鑑』− |
【 神杉伊豆牟比め神社 神杉伊豆牟比咩神社 (穴水町) 】
