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豊受大神宮 外宮
とようけたいじんぐう げくう
[三重旅行] 三重県伊勢市豊川町

板垣の内側では写真撮影が禁止なので、
なんとか正殿が見える場所はないかと探したが、
見つからなかった。
もう少し、木々の葉が落ちた季節なら見えるかもしれないが、
周りの木々の種類がわからないので、なんとも云えない。


御正宮正面 板垣南御門

2014年3月、式年遷宮を終えた外宮御正宮
旧地の左手(奥)に新しい垣

2014年3月、式年遷宮を終えた外宮御正宮



 豊受大神宮は豊受大御神をおまつり している。また相殿神として御伴神(みとものかみ)を、東に一座、西 に二座おまつりしている。
 第二十一代雄略天皇の二十二年(五世紀)、天照大御神 のお告げによって、丹波の国−今の京都府下、天橋 立付近−から、この伊勢の国度会の山田が原におむかえ したと伝えている。皇大神宮(内宮)ご鎮座よりおくれ ること四八一年である。
 この豊受大御神については、古事記(七一二)には、 豊宇気毘売神と見えている。気(け)とは、食、饌で、食物の ことをいうのである。天照大神のお召しあがりになる大 御饌(お食物)の守護神であり、また私たちの営むすべ ての産業をお守り下さる神さまである。一般に外宮と言 われているが、正しくは豊受大神宮という。外宮とは、 皇大神宮の内つ宮に対して外宮の意味である。(外宮は、 げくう、内宮はないくうと読む)

−『お伊勢まいり』−

【伊勢神宮の起源】
 伊勢神宮はアマテラスを祭る内宮豊受大神を祭る外宮からなる。その起源は、紀によれば、崇神天皇の代に疫病が流行したので、それまで宮中に祭っていたアマテラス大神を倭の笠縫邑に移して豊鍬入媛に祭らせた(これを神人分離という)。
 つぎに垂仁紀二十五年に豊鍬入媛を廃し、ヤマトヒメがこれを祭って、菟田から近江・美濃を巡って伊勢に到ったとある。そのときアマテラスは、「神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せるすばらしい国だ」と言ったので、その地に社を建てて鎮座したという、これが、天皇家の始祖神を祭る皇太神宮(内宮)の起源伝承である。外宮については、雄略天皇の代にアマテラスの食事に仕えるため、丹波国から豊受大神を迎えたのがはじまりとされている(『止由気宮儀式帳』)。豊受大神は穀物の神である。このような伝えはいずれも歴史的事実ではないが、雄略朝に伊勢神宮の起源があることは、広く認められている。ただし、それは太陽信仰の盛んな伊勢の地に、大和朝廷が東方に進出する拠点を兼ねて、王家の守護神の祭場を移したもので、そこは今日の外宮のある所であったらしい。その後、壬申の乱にさいして、伊勢に入った天武天皇はアマテラスに祈願して勝利をものにした(天武紀元年六月)。天武天皇の時代にアマテラスは皇祖神としての地位を確立し、これを祭る宗廟として新たに内宮が造られたと考えられる。もともとの外宮には、社稷(しゃしょく)の神として穀物神が祭られるようになったのであろう。伊勢神宮の起源はおそらく五世紀の雄略代にまでさかのぼるが、内・外宮の二所体制が完成するのは七世紀後半の天武朝になってからと思われる。

−『日本神話事典』−



最終更新日:2014/03/24
【 伊勢神宮 豊受大神宮 (外宮) その2 】

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