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須倍神社
すべじんじゃ
静岡県浜松市北区都田町6284
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式内社 遠江國引佐郡 須倍神社
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静岡県浜松市にある。
天竜浜名湖鉄道の都田駅駅の南西1Kmの都田に鎮座。
同じく浜松大学前駅の方が近いかもしれない。
両駅の中間あたりにあり、362号線から北へ入ると、
神域があり、南向きの鳥居が見える。
参拝した日は天気が良く、
青空が眩しかったが、鳥居をくぐり、参道を歩くと
木陰で少し寒い冬の日。
境内は、かなり広い感じ。
拝殿の後方に、垣に囲まれた本殿があるが、
本殿は神明造で二棟並んだ形式。
見ての通り、
合祀されている祭神が異常に多いのは、
明治七年に、村内の69の神社を合祀したためらしい。
ということで、同じ祭神が複数存在するのだ。
社伝によると、第五十八代・光孝天皇の御宇、
仁和三年(887)の創建らしい。
式内社・須倍神社に比定されている神社で、
以前は、神明宮と称しており、
祭神は、天照皇大神と豊受姫大神。
本殿も、二棟並んでいるが、
右が内宮(天照皇大神)、左が外宮(豊受姫大神)。
社名から考えると、本来は
古代における陶器(須恵器)製造に関連する神社かもしれないが、
中世期に、伊勢神宮の御厨に組み込まれ、
神明宮へと変貌したのだろう、と思う。
境内左手に、境内社が二つ。
左は、姥神社・津嶋神社の相殿。
右は、秋葉神社。
神紋は、五七の桐。
社域 |
境内入口 | 参道 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
姥神社・津嶋神社 と 秋葉神社 | 本殿二棟 |
本殿二棟 |
御由緒・沿革 当社は延喜式内社で引佐郡六座の一でありまして、人皇五八代光孝天皇の御宇仁和3年の建宮と伝えられております。鎮座地都田は伊勢神宮の御厨として発達した土地でありますから、御祭神は伊勢神宮を勧請奉斎したものと思われます。もと内宮は上社と言って上都田須部の上の山に鎮座し、外宮は下社と称し下都田中津に鎮座して居りましたが、延喜2年上社下社の両社を現在地に移し、神明宮或いは須倍神社と称えるようになりました。慶長6年徳川家康は伊奈忠次に社領として、内宮に四石、外宮に三石を黒印を以て寄進されたのを慶安元年10月24日徳川家光が朱印に改め寄進されました。明治6年3月郷社に列格、同7年5月24日村内の神社69社を外宮に合祀し、明治40年6月21日神饌幣帛料供進社に指定せられました。昭和2年社務所を建築。昭和25年本殿改造、神明造銅葺となし、拝殿の茅葺を銅葺に改めました。昭和55年幣殿渡殿を改修銅葺とし、更に翌56年手水舎を新築し現在の状態となったものであります。昭和62年(1987年)は建宮以来千百年に当たりますので境内社の改築、社務所の一部増築を含む修繕を行い、5月17日千百年式年祭を斎行しました。 −『平成祭データ』− |
【 須倍神社 (浜松市) 】