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乎豆神社
おづじんじゃ
静岡県浜松市北区細江町中川4641−1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 遠江國引佐郡 乎豆神社
旧郷社

御祭神
内宮 天照大御神 外宮 豊受大神

相殿
天手力男命 拷幡千千姫命 瓊瓊杵命
天児屋根命 天太玉命

静岡県の浜松市細江町にある。
天竜浜名湖鉄道・気賀高校前駅から300mほどの中川に鎮座。
362号線から高校の東側の坂道を登ると、
校舎の北側に境内がある。

境内入口は東向き。
鳥居をくぐり参道を歩き、参道を右手(北側)へ曲がると、
正面に社殿が見える、ちょっと不自然な参道だ。
ひょっとすると、昔は南側(今は校舎)に境内入口があったのかもしれない。

周囲には木々が多く、境内は昼でも少し暗いかも。
木漏れ日の中の社殿が良い感じで、
影の向きから、参拝は午前中だとわかるでしょう。

拝殿の後方に、神明造の本殿があり、
本殿の左側に、ひとまわり小さな神明造の祠がある。
大きい方が内宮、小さい方が外宮だと思うが、
確認していない。

創祀年代は不詳。

式内社・乎豆神社に比定されている神社で、
昔は神明宮と称していた。

当地は、古代において引佐郡家の所在地といわれ、
また、允恭天皇の妃の名代として刑部を定むともいわれ、
平安時代には伊勢神宮領御厨となった土地。

『式内社調査報告』では、境内社は、津島・八幡・熊野・浅間・金山。
『平成祭データ』では、津島・八幡・浅間・金山・秋葉。

だが、実際には、
境内左手に並んでいる境内社には、以下の六社の名が付いていた。
右から、津島神社、若宮八幡神社、諏訪神社、熊野神社、稲荷神社、春日神社。


境内入口

東向きの鳥居

参道の木

境内

拝殿

本殿

境内左手に並ぶ境内社

本殿

延喜式内社 乎豆神社
 乎豆神社は 平安時代に醍醐天皇 の命により編纂された法典「延喜式」の 中の「神名帳」に名前が記されている 古い由緒と格式を誇る神社です 江 戸時代には幕府から社領十五石が寄進 されていたと伝えられています
 祭神は 天照皇大神(内宮)と豊受姫大神(外宮)をお祀りしてあり 今日 まで広く信仰されてきました
 現在 乎豆神社のある細江町中川 地区は 五世紀には大和朝廷により 「刑部の御名代」と定められ 平安時代 の終りには 伊勢神宮の「刑部御厨」 が置かれました 当神社の西方 約五 百メートルにある「井通遺跡」からは 「引佐」と墨書された奈良時代の 須恵器が出土し 古代の「引佐郡家」 との関わりも推測されています
 このような歴史のある地域に 当神 社は祀られてきました

−社頭案内碑より−



延喜式内社 乎豆神社 六級社 旧郷社
御祭神
天照大御神天手力男命拷幡千千姫命瓊瓊杵命
豊受大神天児屋根命天太玉命
 例祭日 十月十六日
 遠淡海(浜名湖)に注ぐ最大河川都田川流域では、刑部郷は最も大きな沖積平 野で銅鐸八個の出土は静岡県史の初頭をも飾る有名なもので、往古引佐郡家の所 在地とも言われ、古代より大いに発展した土地と言われている。
 刑部郷名は大宝律令に其の名が見え、人皇十九代允恭天皇の妃の名代として刑 部を定むとも言われ、平安時代には伊勢神宮領御厨となった土地である。
 乎豆時代は、延喜式内引佐郡六座の一つで刑部御厨に奉斎された神明宮である。
 初祀は詳でないが旧家記録に依れば、已に寛平年中に鏡太鼓を奉納すとある。
 社伝によれば、境内一六八六坪 社領五町八反を有し、徳川氏に至り歴代将軍 より十五石を寄進せられ、御朱印状に引佐郡神明社領と御明文ありて格別の札を 以て遇せられ一村落の小社と異にして、領主より特に崇敬厚かりしは論なき処な り、往古頗る大社にして、大鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西の宮鳥居 等を有し極めて荘厳なりし、とある。
 文化九年六月五日の大洪水に依り旧記悉く流出して見るべきものなしとあるが 社宝に刑部郷神明宮作次第書並に刑部神明領坪付書あり、亦当社伝来旧式調書 もある。神明宮作次第書によれば刑部村、祝田村、五日市場村、広岡村の人達が 参加して宮作りをしている。
 又、正保年中領主太田備中守より神社再建に木材を賜ると云う。
 尚、社伝によれば気賀広岡並に浜松市江之島の神明宮は当社の御分霊なりと伝 う。
 明治四十年一月十二日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正十一年八月三日 には郷社に列せられた。

−境内案内板より−



延喜式内神名帳に記載の遠江国引佐郡乎豆神社是なり旧神領、朱印高15石寄附せらる、明治6年3月村社に、大正11年8月3日郷社に列す、合祀神社11社は明治7年5月、1社は昭和8年10月何れも当社に合祀、古老の口伝に依れば往古は社領5町8反歩なりしと云う。
坪附古文書あり、引佐郡気賀広岡鎮座神明宮、浜名郡五島村鎮座神明宮は当神社の御分霊なりとし、古老の言伝えなり。古来の伝説を聞に往古頗大社にして一の鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西宮鳥居等の建築有りし由、昔文化9申年6月5日の大洪水に依り伝来の旧記悉く流出して見るべきもの不教といえども当神社は延喜式神名帳記載の神祇にして其の鎮座する郷は元刑部の郷と称し上古より地方崇敬の中心たるを知さる。
伝え日く往古は社頭高5町8反歩を有し従って社殿の設備又拡大なりとし降って徳川幕府に至り御朱15石を拝領せり其の文言に日く、遠江国引佐郡神明社領同郡刑部の内15石事任先規寄附の暈金可収納と是れ徳川氏に至りても尚上古の先規を重んじ崇敬殊に厚くし証票にして刑部村にて神地を寄せらるるにも不拘引佐郡神明領と冠し一村落の小社に非ざる事明にして明治維新の際に至る迄格別の礼を以て取扱われたる次第にして当郡内の崇敬厚かりしは論なき所なり。

徳川家御朱印字
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村の内15石事任先規寄附の暈金可収納並社中竹木諸役等免除永不可有相違納也
慶安元年弐月弐拾四日
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村之15石之内事任慶安元年2月24日先判の旨寄附し暈金可収納並社中竹木諸役等免除永不可有相違納也
貞享2年6月11日
遠江国引佐郡神明社領同郡刑部村の内15石事任並社中竹木諸役等免除依当家先判之例永不可有相違納也
享保3年7月11日 以下同文
延享9年8月11日 宝暦12年8月11日 天明8年9月11日 天保10年9月11日 安政2年9月11日 万延元年9月11日 以上9通

−『平成祭データ』−



【 乎豆神社 (細江町) 】

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