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官舎神社
かんしゃじんじゃ
三重県伊勢市小俣町本町1446  Zenrin Data Com Maps display !!


二つ巴

式内社 伊勢國度會郡 官舎神社
旧県社

御祭神
建御雷之男神 經津主神 天兒屋根命 姫神
その他 小俣村集落内神社の神々を合祀

JR参宮線宮川駅のすぐ南にある、離宮院公園の西の端。
公園に東から入ると、公園が参道になっている。

社名は、本来「ミヤケ」と読むらしいが、
現在は「カンシャ」、あるいは「離宮さん」とも。

当社境内は、離宮院跡として国の史跡に指定されている。
平安時代以降、伊勢大神宮の御厨や齋内親王の離宮があったようだ。

創祀年代は不詳。

一説には、離宮院西方に鎮座していた「中臣氏祖神」であるという。
古代においては、伊勢神宮の宮司は、中臣氏が任ぜられており
孝謙天皇天宝八年(756)津島碕に、宮司の祖神・春日神が勧請され
延暦十六年(797)、離宮院の移動に伴い、
離宮院西方に遷座された神社。

南北朝以降、齋王制度は廃絶し、離宮院と共に中臣氏社も衰退。
近世に入り、神宮の摂末社が再興された寛文三年に
中臣氏社も再興されたという。

明治十二年村社に列し、
明治四十二年、村社・八柱神社など十一社を合祀した小俣神社を
翌年、当社に合祀。
昭和十九年、県社に昇格した。

明治以降は小俣村の産土神として崇敬され、
大漁宮(大漁祈願)・旅宮(交通安全)とも称されているようだ。

拝殿に「御船石」と呼ぶ小さな石が沢山置かれている。
この石を船に持ち込み、海上安全と豊漁を願う。
次にお参りする時に返納し、新しい石を持ち帰る。

当社の神紋に関して。
参道の手水鉢に「二つ巴」紋が刻まれていた。
ただし『三重県神社誌』には「三つ巴勾玉ちらし」となっている。
確かに、社殿には金の複雑な紋があるのだが、写真では判別できなかった。


参道入口

離宮院公園内の参道

参道

拝殿

本殿

社号標

神宝殿

離宮山大漁宮

拝殿にある御船石

官舎神社
鎮座地度会郡小俣本町一四四六番地
主祭神建御雷之男神 經津主神 天兒屋根命 姫神
大 祭祈年祭二月十一日(お頭神事)
例祭九月十五日 諸祷祭十一月二十三日
社 宝藤堂和泉守寄進状(元和三年<一六一七>・小俣町文化財)ほか
延暦十六年(七五七)八月三日、離宮院が創設さ れた時、神宮祭主大中臣朝臣諸魚らが中臣氏祖神・ 春日明神を大仏山東麓津島崎から離宮院西方に遷座。 平安・鎌倉時代は、延喜式内「官舎神社」と同じ神と して、歴代大宮司により氏神祭が行われました。十 五世紀後半の離宮院廃絶に伴いこの社も廃れ、中 世末から、近世にかけては社殿もないまま離宮の神 としてまつられていました。寛文三年(一六六三)、 大宮司中臣精長が、離宮の一角に中臣氏社を再興、 離宮の神と一体のものとして明治に及びました。明治 十二年村社官舎神社再興、同十四年八柱神社を合 祀、昭和十九年県社に昇格しました。
 社名は、大宮司の庁院や斎内親王の離宮の「官舎」 に由来すると伝えられています。
 「離宮さん」の愛称、「旅の宮」「大漁宮」とも呼ばれ、 航空・交通安全や漁業者の信仰を集めています。

御船石の由緒
当神社は、昔より大漁の神として漁人 の信仰厚く、この御船石を持ち帰り 船中に奉安し、海上安全と豊漁を お祈りし、また、身につけて作業の安全を 祈願します。お参りの時は前の石を返納し 新しい石を奉持して帰ります。

−『境内由緒』−



【 官舎神社 】

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