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奈胡谷神社
なごやじんじゃ
静岡県伊豆の国市奈古谷字宮脇1399−1  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 伊豆國田方郡 金村五百君和氣命神社
旧村社

御祭神
金村五百君別命

静岡県伊豆の国市にある。
伊豆箱根鉄道・原木駅の東2.5Kmほどの奈古谷に鎮座。
奈古谷集落の西はずれ。
136号線から一本北側の道に参道入口がある。

参道を進むと「延喜式内奈胡谷神社」と刻まれた社号標があり
ゆるく上った参道の奥に、石鳥居。

鳥居をくぐると、参道脇に「サイの神」の石像がある。
台石の説明によると、古いサイの神が崩壊したので補修し
さらに新しいサイの神を設置したとある。
古い方は顔が潰れて良くわからないが、
新しい方は新しすぎて、ちょっと有難味に欠ける感じ。

そんなことを考えながら参道を進むと
正面に赤い屋根の社殿が見えてくる。
境内の奥にある社殿は、入母屋造の拝殿の後方に
神明造の本殿覆屋が連結した形式。

参拝は、年末12月29日の朝。
あまり大きな樹の無い境内のせいか、
風が吹き抜けて、ちょっと寒かった。

昔は、古木の鬱蒼とした丘の上にあったが
昭和三十八年から昭和四十五年にかけて、境内地の全面整備を行い
現在の状態になったらしい。
当時の杉の御神木は、樹齢450年の巨木であったが
枯死寸前であったため、その整備の時に伐採された。
また、整備の際に調査した結果、
境内からは古代集落の住居跡や祭祀場の遺跡が発見されている。

創祀年代は不詳。

『伊豆国神階帳』に「従四位上 奈胡谷の明神」とある古社で、
式内社・金村五百君和氣命神社に比定されている神社。

室町時代頃から、杉崎明神と呼ばれるようになり
明治十一年杉崎神社と改称。
さらに、明治二十一年十月十日に現社号・奈胡谷神社に改めた。

御神体は、縄文時代より伝わるという石棒(あるいは石像)。

境内右手に、赤い屋根の大きな境内社の祠がある。
内部には、天神社と神明社の祠が安置されている。

拝殿の屋根に、桐の紋が付けられていた。
当社の神紋かどうかは不明だが、
伊豆の神社に多い紋なので、地域性なのかもしれない。


参道入口

鳥居

新旧のサイの神

参道

社殿

社殿

右手の境内社

中に天神社と神明社

奈胡谷神社のサイの神
 サイの神は道祖神などの別名があり、古くから邪霊の集落 侵入を防ぐ神・旅の安全を守る神・子供を疫病から守る神な どとして庶民の生活信仰の対象になって来た。
 奈胡谷神社境内のサイの神もその台石に宝暦1755歳 十二月十四日と刻まれる如く250余年に亘り区民の振興の 的として親しまれ続けている。
 しかし、長年の風雨に晒され崩壊の止むなきに至る現状で あるので、神社役員一同諮り、この桟に頭部及び胴部の一部 分を補修すると同時に新しい時代の庶民の願も込めて神社境 内へ新たにサイの神一体を寄進し設置する。

−参道サイの神台石−



【 奈胡谷神社 (伊豆の国市) 】

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