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八柱神社
やはしらじんじゃ
三重県多気郡多気町四疋田239  Zenrin Data Com Maps display !!


左三巴

式内社 伊勢國多氣郡 相鹿木大御神社 (参考)

御祭神
八柱の神
天之忍穗耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命
熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐津比賣命

三重県の多気町にある。
紀勢本線・相可駅の南西2Kmほどの四疋田に鎮座。
相可駅から西へ進み、四疋田で南下すると、地域福祉センターの西端、
道路がカーブしている場所に境内がある。

参道入口の脇に「伝 銅鐸出土地」と刻まれた石碑が立っている。
昭和十九年(1944)秋、弥生時代の銅鐸が出土した地に建てられていたものだが、
路敷設のため平成九年九月に移動。もとは南西29mの地にあった。
また、銅鐸の現在の所在は不明とか。

道路に面して西向きの入口を入り参道を進むと、右手(南)に鳥居。
鳥居をくぐり、さらに右手に曲がると社殿のある境内。
ということで、社殿などは東を向いていることになる。

社殿の形状は、拝殿の後方、瑞垣の中に神明造の本殿が一つ。
伊勢周辺の神社では、多くが同じような形をしている。

本殿の左手に境内社の小祠と、いくつかの石が祀られている。
拝殿内の案内によると、境内社は以下の四社らしい。
琴比良神社(大物主命)、菅原神社(菅原道眞公)、社宮神社(猿田彦大神)、
塞神社(八衢比古神八衢比賣神久那戸神)。

『三重県神社誌』に当社の記載はなく、創祀年代は不明。
『式内社の研究』によると当社は式内社・相鹿木大御神社であるという。
「木大」は「キタ」と読むらしく、疋田(ヒキタ)の地の所在が求められ、
四疋田産土神の当社があてられたらしい。

ただし『式内社調査報告』では、この説を含めて幾つかが羅列され、
結局、所在不明とされている。

なお、当社の古社地は、現在地の北西1Kmほどにある歓喜寺境内の南東端であったらしく、
明治四十一年二月十一日、井内林の津田神社に合祀され、
昭和三十三年三月十七日に分祀独立して現在地に祀られたという。

拝殿の屋根瓦に「八」「柱」三巴紋「神」「社」とあった。
当社が合祀されていた津田神社の神紋も三巴紋なので、
当社も三巴紋を神紋としているのかもしれない。


社域

伝銅鐸出土地の石碑

境内入口

境内

鳥居

社殿

拝殿

本殿

拝殿内の扁額

境内社

『式内社調査報告』によると、津田神社に合祀以前の当社の古社地は、
現社地の北西1Km、旧伊勢街道沿いにある歓喜寺境内の南東端とある。
多気町四疋田1233
 Zenrin Data Com Maps display !!

歓喜寺入口には「天台宗眞盛宗踊躍山歓喜寺」とあり、
境内に、町指定文化財の聖観音立像(平安時代、一木造り)があるらしい。

その境内の南東隅に、石を固めて前部に扉を付けたようなものが祀られている。
これが、当社の古社地の名残りだろうか。
伊勢周辺の神社境内には、このような形状のものを多く目にする。


歓喜寺入口

歓喜寺境内

歓喜寺境内南東隅


【 八柱神社 (多気町四疋田) 】

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