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日長神社
ひながじんじゃ
[愛知旅行] 愛知県岡崎市中島町新町18  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 参河國碧海郡 日長神社
旧村社

御祭神
吾田鹿葦津姫尊
天津日高子番能邇々藝尊 大日霊貴尊

愛知県岡崎市にある。
JR岡崎駅の南西6Kmほどの中島町新町に鎮座。
駅から43号線を真っ直ぐに進むと当社の前に到着する。
矢作川の支流である広田川に近く、周囲は住宅地。

道路に面して、境内入口を南東向き。
鳥居の右手に、「式内 日長神社」の社号標。
参拝は、年末の休日の午後。
もう少しで迎える新年のために、鳥居の左右に門松が飾られていた。
暗くなり始めた境内では、
近所の子供たちが社殿の階段で話しこんでいたが、
僕が、カメラを構えた途端に、どこかへ消えてしまった。

社殿は、拝殿の後方、垣の中に本殿。
その本殿の屋根は二重にかけられており、
二階建て住宅のような形状で、少し変わっている。
ひょっとすると、この屋根は覆屋のもので、
内部に本当の本殿があるのかもしれないが。

社伝によると、
昔、この地域は海中の島で、
(中島町という地名は、そのことに由来する?)
葦が茂った葦島であった。
その後、しだいに開け、日久良志の里と呼ばれるようになり、
当地を「日奈加島」と云ったという。

第二十六代継体天皇の御代、当地が開拓され、
五穀豊穣・人民繁栄の守護人として
日向国笠狭御崎の神を勧請して当社を創祀、
日長の宮と呼ばれたという。

明治以前は、神明社と称し、
式内社・日長神社の論社の一つ。

主祭神は吾田鹿葦津姫尊天津日高子番能邇々藝尊
正中二年(1325)大日霊貴尊を合祀し、現在三柱を祀るが
異説もあり、石長姫命肥長比売命などの説も。

境内入口、鳥居の右手には秋葉社。
社殿の左手には、稲荷・琴平・猿田彦社が祀られている。


境内入口

社殿

夕方の境内

本殿

社殿

御神木

稲荷・琴平・猿田彦社

境内社

社号標

秋葉社

社記
鎮座地愛知県岡崎市中島町新町拾八番地
社 號日長神社
御祭神吾田鹿葦津姫尊
天津日高子番能邇々藝尊
大日霊貴尊
由 緒 社伝に往古此の地方は海中の島嶼にして葦茂り一体は芦嶋と称し 芦嶋稍開くるに及び日久良志の里と称するに至れり
而して此の地は日久良志の里の内日奈加島なりと云ふ
當神社は第二十六代継体天皇の御代此の地芦嶋開発のため 豊穣人民繁栄の守護神として創祀し日長の宮と称す
第七十八代文徳天皇仁寿元年九月朝廷より神階従五位下を授けられ 位田を賜はる延喜式神名帳に三河國二十六座の内に記載三河國内 神明帳には従四位下と有り既に千五百余年を経たる古社にして 廣大なる社地を有し比奈加島住民の崇敬厚く徳川幕府 累代の将軍社領拾石の朱印地を寄進して尊崇せられた る名社たり
社 格往古は明神 明治初年より村社 現在神社本庁所属十二級社
社 領徳川幕府寄進拾石 明治初年奉還
境内地六百二十六坪
境内社秋葉社
稲荷社
琴平社
相殿
祭神
祭神
祭神
祭神
火之迦具土神
保食神
金山彦神
澳津彦神
澳津姫神
猿田彦神
火の神
食物の神
金の神


導神
氏 子百四十戸
例 祭十月十一日



−境内案内板−



最終更新日:2013/10/09
【 日長神社 (岡崎市) 】

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