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式内社 伊豆國賀茂郡 志理太(乎)宜神社 旧村社 御祭神 志理太乎宜命 別殿 五十猛命 |
静岡県の東伊豆町にある。
伊豆半島の東側にあり、伊豆急行の片瀬白田駅の西。
135号線がカーブしている場所に、
道路に面して東向きの境内がある。
地図には「来宮神社」とあり、
鳥居扁額には「来宮社」、拝殿扁額には「来宮神社」と記されている。
鳥居をくぐると、広場のような境内。
参拝は正月二日だったためか、境内にはいくつかの提灯が飾られていた。
境内の西奥、一段高い場所に社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の覆屋の中に本殿がある。
案内によると、覆屋内部には二棟の流造社殿があるらしく
一方は、別殿の五十猛命を祀ったもののようだ。
本殿は、江戸時代中期の作。
拝殿は、明治三十九年十一月に新築され、
その後、数度の修築を経て、平成四年十月十日に大改修を実施したらしい。
創祀年代は不詳。
棟札によると、康永二年(1343)に再建されたようだ。
式内社・志理太(乎)宜神社の論社とされる神社。
(乎)と括弧付きなのは、延喜式の古い写本では「志理太宜神社」とあり
「乎」が無い方が正しいと考えられているため。
また、「宜」は「冝」と書かれる場合があるのだが、
なぜか、境内石碑には「宣」の字が使われていた。
祭神の志理太乎宜命は、
三嶋大神(事代主命)と第三后(佐伎多麻姫命)との間に生まれた
八王子の中の第五王子。『三宅記』には「志たひ」と書かれている神。
因みに八王子とは、
一に「なこ」、二に「加禰」、三に「やす」、四に「てい」、
五に「志たひ」、六に「くら井」、七に「かたすけ」、八に「ひんすけ」という。
鎌倉末期の『三宅記』には、
この八王子は三宅島の丑寅(東北)に生まれたとあり
志理太宜神社(志たひ)は、椎取(しいとり)神社であると考えられている。
当社を式内社・志理太宜神社とする説は、
『三宅記』の存在が知られる以前のもので、
「志理太宜」の名が白田に近いことから、
当社を白田来神社、あるいは白田来浜神社とし、
後に、白田の来宮として、来宮神社と称されるようになったようだ。
当社が式内社で無いのならば、
本来の祭神は別殿に祀られる五十猛命かもしれない。
素盞鳴尊の御子神で、新羅から渡ってきた木の神。
鎮座地の白田が、新羅に近いし、来宮は木の宮だと考えることも可能だろう。
−境内石碑− 創立年代康永2年11月再建の記録あり。 往古は白田来浜神社又は来宮神社とも称した。毎年12月17日より7日間酒精進の習慣がある。 −『平成祭データ』− | ||||||||||||
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