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式内社 伊豆國賀茂郡 伊古奈比咩命神社 旧県社 白浜神社公式サイトをひらく 御祭神 伊古奈比咩命 相殿 三嶋大明神 見目大神 若宮大神 劍の御子 |
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静岡県下田市にある。
伊豆急行下田駅から、
直線距離にして北東に2・3Kmの白浜に鎮座。
135号線を東へ進み、道なりに北上すると
白浜海岸付近、道路の右手(東側)に境内がある。
地元では有名で、参拝客も多い神社。
境内入口の南側に駐車場がある。
参拝は、正月三日。
日の出の頃の早朝だが、参拝客もチラホラ。
参道入口には赤い欄干の橋。
橋を渡ると、朱の鳥居。
鳥居の右手には「伊豆最古の宮」と書かれた案内。
左手には「式内大社 伊古奈比咩命神社」と刻まれた社号標。
白浜に鎮座していることから、白浜神社と呼ばれるが
当社の正式社号は、伊古奈比咩命神社だそうだ。
参道を進むと、参道の左手に樹齢二千年の薬師の柏槙。
洞の中に薬師像が安置されている御神木。
参道の右手には、枯れてから千三百年という白龍の柏槙。
地中から白龍が天に昇っている形らしい。
そう云われればそういう風にも見える。
さらに参道を進むと広い境内。
境内奥にどっしりとした拝殿がある。
境内の左手には、境内社・見目弁財天。
縁結びの神様で、当社祭神・伊古奈比咩命をお守りする神の一柱。
ちなみに、当社本殿の相殿にも祀られている神。
見目弁財天の横には、白浜桜。
境内には石祠も多く、聖徳太子命神社などが祀られている。
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見目弁財天の由緒
当社御祭神、伊古奈比咩命をお
守りする神として見目、若宮、
剣の御子の中の一柱の神様であ
り、その本地仏とされているの
が、弁財天となっています。古
来より、縁結び、子授け、性病
除け、夫婦円満の御利益をもつ
神として霊験あらたかな神社で
す。−案内板より− |
境内の左手奥に、本殿へ通じる参道がある。
拝殿の後方、丘の上(といっても10mほど)に本殿があるので、
参拝客は、左の参道から登っていく。
拝殿から本殿へ一直線に登る階段もあるが
これは神官用(あるいは神様用)だろう。
その本殿参道入口に鳥居があり、
右手に境内社の砂村稲荷神社。
左手階段上には、二十六社神社。
大正十年御遷宮の際に
境内社二十六社をまとめたものだそうで、
案内板によると、
「少彦名命神社、御子神社、應神天皇社、須佐之男命神社、
天児屋根命神社、天水命神社、天照皇大神社、
級長戸辺神社、木花開耶姫命神社、瀬織津姫命神社、
倉稲魂命神社、豐宇氣姫命神社、経津主命神社、
熊野神社、海津見神社、海津豐玉彦神社、大年神社、
石長比賣命神社、若宮八幡宮、亥神社、大雷神社、
高皇産霊神社、金山毘古命神社、大山祇神社、豐受大神宮」
なぜか、二十五社しか記されていない。
『静岡県神社誌』で確認すると、
金山比咩命神社が抜けている。
記載漏れだろう。
また、案内によると、
当社の旧鎮座地であったという神明に
境外社の十二明神社があり、
大楠命、小楠命。御代徳命、感農八甕命、横池命、
伊迦命、知宇命、尾健御子命、尾健比命、見多諾命、
伊豆奈比命、穂便感應命が祀られているらしい。
さらに本殿参道を登って行くと
参道左手に、目の神様が祀られている。
昔は、あすなろの木があり、
幹の中の水で目を洗うと霊験があったという。
で、さらに参道を進むと垣内に流造の本殿がある。
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伊古奈比咩命神社(白浜神社)境内社末社
本社境内は、最近大正十年御遷宮の際整理され、
左の二十六社を総括し、神明造の一殿に奉斎するこ
ととなった。その二十六社は左の通りである。
少彦名命神社、御子神社、應神天皇社、須佐之男命
神社、天児屋根命神社、天水命神社、天照皇大神社、
級長戸辺神社、木花開耶姫命神社、瀬織津姫命神社、
倉稲魂命神社、豐宇氣姫命神社、経津主命神社、
熊野神社、海津見神社、海津豐玉彦神社、大年神
社、石長比賣命神社、若宮八幡宮、亥神社、大雷神
社、高皇産霊神社、金山毘古命神社、大山祇神社、
豐受大神宮。又境外地ではあるが、本社の旧社地であると云われている 神明と云う所にある末社には本社と大変関係の深い十二の社 が合祀されている。その十二社は左の通りである。 大楠命、小楠命。御代徳命、感農八甕命、横池命、 伊迦命、知宇命、尾健御子命、尾健比命、見多諾命 神社、伊豆奈比命、穂便感應命。 −案内板より− 目の神様
昔、ここに大きなあすなろうの
木がありました。その木の幹に
は大きなこぶがあって、その中
にはどんな日照りにも乾かない
きれいな水が、入っていました。
土地には、この水で目を洗うと、
どんな眼病も直るという言い伝
えがあり、村人はこの木を目の
神様と呼んで大変信仰していま
した。しかし、今ではその木も枯れて しまった為、ここに社を造って 目の神様をお祭りしています。 −案内板より− |
創祀年代は不詳。
主祭神は三島大明神の后神・伊古奈比咩命。
伝承によると、往古、三島大明神とともに
三宅島阿古に座していたが
孝安天皇元年、白浜の長田に遷座された。
二神ともに諸島を統べ、伊豆神族の宗社として崇敬されていたが、
何れの時にか、三島大神は国府の地・三島へ遷座された。
よって、当地を古宮という。
又の名を五社明神といい、
これは主祭神・伊古奈比咩命の他に
三島大明神と、見目・若宮・剣御子の計五柱を祀るため。
神階は淳和天皇文長九年五月庚戌、名神社に預かり、
文徳天皇嘉祥三年十月従五位上を授けられた。
さらに仁壽二年十二月十五日には正五位下へ、
以後、位を上げ、康永二年の神階帳には
「一品当きさきの宮」と記されている。
本殿は丘の上、海を背にして西面しているが
本殿の後、海に面した壁に「御釜」と称する洞窟があるという。
参拝時には、このことを知らなかったので
確認していない。残念。
また、本殿の後に
昭和四十一年、松喰虫のために倒れた
御神木・命の松の跡があるらしいが、これは確認できない。
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伊古奈比咩命神社
伊古奈比咩命神社の御祭神の三島大神(別名事代主神)は、その昔(今から二千年以上も昔のことです。)南のほうから海を渡ってこの伊豆にやって来ました。伊豆でも特にこの白浜に着かれたのは、この白砂の浜があまりにも美しかったからです。そして白浜に着いた三島大神は、この伊豆の地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。さらに、三島大神は伊豆の土地が狭かったため、お供の見目の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島焼きつまり島造りを始めました。最初に1日1晩で小さな島をつくりました。初めの島なので初島と名付けました。次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、次に大きな島の大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる島、三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖の島、次に小さな小島、次に天狗の鼻のような王鼻島、最後に10番目の島、十島(現在の利島)をつくりました。 7日で10の島をつくりあげた三島大神は、その島々に后を置き、子供をつくりました。この后々や子供達は、現在でも伊豆の各島々に式内社として祭られています。三島大神は、后達やその子供達を大変愛していましたが、その中でも伊古奈比咩命は特に愛され、いつも三島大神のそばにいました。大神は、三宅島に宮をつくり、しばらくの間三宅島に居ましたが、その後最愛の后である伊古奈比咩命とお供の見目、若宮、剣の御子を連れて再び白浜に帰って来ました。そしてこの白浜に大きな社をつくり末長くこの美しい白浜で暮らしました。それが、この伊古奈比咩命神社です。 −『平成祭データ』− |