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二宮神社
にのみやじんじゃ
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷306  Zenrin Data Com Maps display !!


井筒に橘

式内社 遠江國引佐郡 三宅神社
旧村社

御祭神
多道間守命 宗良親王

静岡県浜松市引佐町にある。
旧引佐町役場の北東500m。
257号線の西側に境内入口がある。
入口の鳥居をくぐり、参道の坂道を100mほど登ると、
参道が北(右手)へ曲がり、鳥居が立つ。
鳥居の横に、岩が密集した場所があり、
その上に、天神社の小祠。
さらに参道を進むと、広い境内がある。
境内の中央に、足跡石という岩があるが、
何の足跡かは調べていない。

境内の奥(北側)には、本殿跡地が残されている。

昔の境内配置はこんな感じ。


現在の社殿は、境内の左手の階段を登った場所にあり、
社殿は東向き。
隣には天王社の小祠。

創祀年代は不詳。

往古は三宅神社と称していたらしく、
式内社・三宅神社に比定されている神社。

井伊郷を納めていた三宅氏が、
その祖神である多道間守を祀った神社だという。

後、醍醐天皇の皇子・宗良親王を合祀し、
二柱の神を祀ることとなり、二宮神社と改称されたという。

境内の案内などには、井桁に橘の紋。
案内板によると、井伊氏の家紋らしい。


境内入口

参道の鳥居

鳥居脇の天神社

境内、手前に足跡石

足跡石

参道

天王社

社殿

社殿

拝殿

本殿

本殿跡

二宮神社御由緒
 当二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱 を御祭神としております。往古は三宅神社と 称し奉り、天日槍尊の四世で、井伊郷の荘司 三宅氏の始祖 多道間守の尊霊を奉祀した 延喜式の式内社に列せられた霊社であります。
第十一代垂仁天皇の勅諚に応え常世の国から 我国へ橘を将来したのがこの祖神多道間守で 当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴 する井桁と、当三宅神社の橘とを家紋と 致しました。
元中二年八月十日(西暦一三八五年)後醍醐天皇 の皇子宗良親王が井伊城に薨ぜられるや 九月南帝の勅使中院為久郷、中院少将定平 朝臣下向、御連枝の方廣寺開山、圓明大師を 御導師として葬送の御儀を執行い、当三宅神社 に尊霊を合祀し奉り、慈来二柱の神霊を祭祀 するため二宮神社と改称し奉りました。

−境内案内板より−



【 二宮神社 (引佐町) 】

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