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久麻久神社
くまくじんじゃ
[愛知旅行] 愛知県西尾市熊味町山畔52  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 参河國播豆郡 久麻久神社二座
旧村社

御祭神
倉稻魂神 久久能智神
合祀
天兒屋根命 豊宇氣毘賣命 多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多紀都毘賣命

愛知県西尾市にある。
名鉄西尾線の西尾駅の東500mほどの熊味に鎮座。
参道入口に鳥居と社号標が立っている。
社号標には、「村社 式内 久麻久神社二座」と刻まれ、
側面には、「三姫 春日 神明 相社」と刻まれている。
この三社は、大正時代、当社に合祀されたもの。

参道の突き当たりに境内があり、階段を登る。
社殿は、境内荒垣の中にあり、
入母屋造の立派な拝殿。
後方には神明造の本殿がある。

参拝は、年末の午後。
西に傾きかけた陽が本殿をオレンジに染めていた。

創祀年代は、不詳。

以前は、稲荷明神と称しており、
祭神に、倉稻魂神を祀っている神社。

式内社・久麻久神社二座の論社の一つ。
同じく西尾市の八ツ面町にもう一つの同名の論社がある。
式内・久麻久神社は二座と記されており、
これが、一社に二座を祀るものか、
二社にそれぞれ一座づつ祀るものかは不明だが、
八ツ面山の社と麓の当社が、二社でセットと見る説もある。
八ツ面山は別名、雲母山といい、雲母の採掘に拘わった人々によって
祀られたものかもしれない。

社名の「久麻久」は、「くまく」と読むが、
当社の鎮座地は、旧称、熊子村。

本殿左手に、家庭用の簡易な池があり、一つの祠が祀られていた。
多分、これが末社・三姫社、別名弁財天だと思う。
境内には、もう一つの境内社があったが、
案内石碑には、神明と八幡が書かれている。

社殿の屋根や、賽銭箱に葵の紋が付けられていた。
三河だからなのか、当社の神紋なのか、
詳細はわからない。


鳥居

参道と社号標

参道

境内

拝殿

拝殿

社殿

三姫社?

本殿

神明・八幡?

久麻久神社再建の碑
 当 熊子山周辺は 縄文 弥生時代より人 々が生活を営んでおりました そこへ進んだ 農耕技術をもった人々が移り住み 周辺の低 地を開発していったものと思われます こう した人々が 豊作と安全を祈るために神を祀 ったのが久麻久神社の始まりで 約千年前の 国の記録「延喜式」にその名が記載されてい ます
祭神は 倉稲魂神久久能智神の二神です  その後 大正元年十二月味崎に座した春日社  神明社 三姫社が合祀されました また末社 として神明社 八幡社 三姫社(通称弁財天) が祀られています
旧社殿は江戸時代中後期に造営され 昭和八 年に大修理が行われましたが三河大地震 伊 勢湾台風で大きな被害をうけ 仮修理のまま 今日に至っておりました
昭和六十三年 神社再建のことが発議され  以後関係者一同のご尽力と 町内外の皆様の ご協賛で 一億三千八百万円余の浄財を得て 立派な社殿が完成し 平成四年十一月七日御 遷座祭を斎行することができました
ここに関係各位のご熱意とご協力に心から感 謝の意を表します

−境内案内碑−



最終更新日:2013/10/09
【 久麻久神社 (西尾市熊味町) 】

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