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賣布神社
めふじんじゃ
島根県松江市和多見町81  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に花菱

式内社 出雲國意宇郡 賣布神社
旧県社

御祭神
速秋津比賣神
合殿 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命
摂社神 櫛八玉神

松江市。宍道湖東側の松江新大橋の南たもとにある。
宿泊していたホテルの側、ブラブラと散歩がてらに参拝。
散歩の目的は、夕方、宍道湖に沈む夕陽の撮影だった。

式内社・賣布神社に比定されている古社。
風土記に「賣布社」と記されている神社。

祭神は、速秋津比賣神だが、通常、橋姫と云われており、
橋のたもとにある神社に多く、水門を守る神でもある。

棟札には、古来、白潟大明神ともあり、
宍道湖方向へ少し歩くと、水門の位置に白潟公園がある。
白潟とは、宍道湖の沖積地のことらしい。
宍道湖に潟が出来て、白潟明神、橋が出来て、橋姫と変化したようだ。
中海側の水門には、速秋津比古神を祀る、由貴神社が鎮座している。

延喜式の記載順では、玉作湯神社来待神社の間にあり、
もとは東来待鏡あたりにあったと考えられている。
いつの頃か、白潟郷へ移り開拓神として鎮祭され、
さらに白潟橋の守り神へと変化したのだろう。

社記によれば、櫛八玉神が速秋津比賣神を祀ったのが創始。
櫛八玉神は、大国主大神を祀る出雲大社の膳神(調理の神)で、
出雲大社摂社の湊神社に祀られている。
湊・水門の神である速秋津比賣神の御子神であるらしい。

「賣布」という名の意味は不明だが、
『出雲國式社考』によると、摂津・尾張・丹後・但馬にも同名社が存在する。
『出雲國風土記参究』には、物部氏の遠祖大賣布命と関連が記されている。
また、一説には、清火を鑽り出すべき海布の生ずる所とも。

配祀の神々は、第二十代安康天皇二年八月に勧請されたという。

明治四年七月四日郷社に列し、明治二十八年十月二十九日県社に昇格した。

宍道湖の夕陽を眺め、ブラッと参拝するのが良いでしょう。

境内は、綺麗に清められており、さすがに祓戸の神を祀る社。
本殿の後ろに、立派な境内社が二社。金刀比羅神社と船霊神社。
境内左右には、和田津見社と恵美須社がある。
海関係神社が揃っているのだ。
他にも道祖神社(猿田彦命外八柱)など。

宍道湖に沈む夕陽を撮影したが、水平線の雲のため、イマイチだ。


鳥居と神門

境内と拝殿

本殿

本殿、後方から


本殿後方の境内社
左、金刀比羅神社 大名牟遅命少彦名命
右、船霊神社 表筒男命中筒男命底筒男命

本殿右側 白潟地主総荒神
速秋津比古神素盞嗚尊


常光神社

本殿左側 和田津見社
櫛八玉神豊玉彦神豊玉姫神

拝殿右側 恵美須社
大國主命事代主命

宍道湖に沈む夕陽

風土記の社
延喜式内
賣布神社御由緒
一、御祭神
主祭神速秋津比賣神(水門ノ神、祓門ノ神)
相殿神五十猛命大屋津姫命抓津姫命(樹種ノ神)
摂社神櫛八玉神(漁労ノ神、調理ノ神)
一、御神徳並に御鎮座の事
 当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が 潮路の八百会に座す速秋津比賣神を万物の生命の祖神とし てお祀りになったことに始まり、のちに樹種の神とされる 相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
 このことは、海の潮のはたらきと地上の樹木のはたらきが 相俟って海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされている ことが示されているのであります。そして祓え清め生命の よみがえりの神として信仰され、潮から成る水と塩が 清めの霊力をもつとされてきたのであります。
一、社号と鎮座地について
 社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生い茂る所をさして おり、当社の元の鎮座地は意宇郡の海辺でありしんじ湖が 形成される頃袖師ヶ浦へ、そして潟地が広がって今の白潟が できるころ海水の流入口となった現在地へ遷座されたのが 天正年間(十六世紀後半)のことであると伝えられています。

−入口案内−



【 売布神社 賣布神社 】

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