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旧県社 誉田別尊,神功皇后,仁徳天皇 境内社 式内社 出雲國意宇郡 勝日神社 大己貴命 相殿 須佐之男神,稲田姫神 正哉吾勝勝速日天之押穂耳命 『出雲國式社考』 安来市から南西に延びる45号線、広瀬にある。 飯梨川に沿って走る45号線の側に、鳥居があり、 参道を進むと、階段下にも鳥居。 階段を登ると、神門があり、さらに参道が続く。 立派な楼門の中が境内で、正面に社殿がある。 左手には、境内社の武内神社。 右手奥に、式内勝日神社。 風土記に「加豆比乃社」とある神社。 古色の社殿と苔の緑の境内は、落ち着いた空気に満ちている。 川向う、東に月山(183.8m)があり、その山頂に 勝日高守神社がある。「高守」とは奥宮の意味で、 当社境内の勝日神社は、里宮にあたる。
古事記にある以下の説話。
大國主命が思案していると、海中に光が現われ、 「我は幸魂の神」と告げ、国土経営を助けた。 その決意をしたのが当地であり、山頂に(大國主命の)幸魂神を 山麓に大己貴を祀った。 その後、八幡信仰が盛大となり、その境内社となった。 明治の格付では、富田八幡宮、勝日神社ともに郷社となったが、 同一境内に同じ社格では都合が悪いということで、 勝日神社の社格は廃された。 |
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富田八幡宮 旧県社 能義郡広瀬町 山陰本線 安来駅より南一〇粁 祭神 誉田別尊 神功皇后 仁徳天皇 例祭 一〇月一五日 四月十五日 神紋 左三つ巴 本殿 流造 一二坪余 境内 九一四九坪 末社 八社 宝物 能面(宝生流)、大身槍(山中鹿之助所持)、白羽の矢(景清の使用せしもの) 氏子 四〇〇戸 崇敬者 三六二〇人 神事と芸能 神輿渡御祭 一〇月一五日 由緒沿革 欽明天皇の三一年創立、元は月山に 祀られてあったが、保元年間平氏の将悪七 兵衛景清が白羽の矢を放ち霊地を定め奉遷し た。爾来尼子、毛利、吉川、松平等富田城の 鎮守、祈願所、領内大氏神として崇敬篤く社 領寄進、社殿造営をした。明治五年郷社、昭 和二年県社に昇格す。 −『神社名鑑』− |