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旧郷社 御祭神 賀茂別雷命 合祀 菅原道眞 豐受姫命 神功皇后 應神天皇 玉依姫命 合祀 少名彦命 大年神 地主神 猿田彦之命 受母智神 相殿 式内社 石見國邑智郡 大原神社 武甕槌神 天津兒屋根命 齋主命 姫大神 |
島根県の邑南町にある。
宇都井駅の南4Kmほどの阿須那に鎮座。
出羽川に沿って走る車道から、少し西へ入った場所に、
南面して境内がある。
ちょうど出羽川がカーブして流れる場所。
鳥居をくぐり境内に入ると神門があり、
神門の奥に拝殿。
拝殿の後方階段を上ると、垣に囲まれて本殿が立っている。
本殿の破風の中心に、妙な力士像が座っており面白い。
創祀年代は不詳。
社伝によると、往昔、当社の社人が川で
鴨の白羽の矢が、柏の葉に乗って流れてきたのを拾い上げ、
山丘崎の榊の下に置いて、その夜、神のお告げがあり、
「柏の葉は国津神、白羽の矢は応化百王の守護である」
翌日、榊の元へ行ってみると、すでに矢も柏もなくなっていた。
社人は、国津神は大己貴命と少名彦神、
応化百王の守護神とは上賀茂神、つまり賀茂別雷神であると考え、
阿須那八ケの庄の氏神としたらしい。
阿須那八ケの庄とは、
阿須那・宇都井・戸河内・雪田・口羽・上田・都賀・大林のこと。
当社に合祀されている大原神社に関して。
武甕槌神等を祭神とする大原神社は、
一説に、延喜元年四月八日の勧請。
式内社・大原神社の論社の一つであるが、
上記伝承に出てくる社人は、
ひょっとすると、賀茂神を祀る以前に、
何らかの神を奉祀していたのではないだろうかと考えた場合、
それは、古くから相殿に祀られている大原神社ということになる。
つまり、本来、大原神社として祀られていた地が
京都上賀茂の社領となるにおよび、賀茂神へ信仰の主体を変化させたのかも。
そう考えると、国津神である柏葉の上に、
賀茂を象徴する矢が乗って流れてきたのは象徴的だ。
大原神社は本来、国津神であるのだろう。
境内の右手に、四つの境内社が並んでいる。
右手から、八幡宮・金刀比羅神社・剣神社・天満宮。
境内入口の鳥居の横に、もう一つ大きめの祠があるが名前は不明。
『神国島根』には、上記四社の他に恵比須神社とあるが、これだろうか。
神紋は、三つ柏。
社記伝承に因んだ紋なのだろう。
矢よりも柏を紋とした意味を深読みすると興味深いかも。
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旧記に「往昔年号不詳社人四多原の川
辺に出て清き流れを詠み居る所へ矢筈に白き鴨の
尾羽をつけ柏の葉にのり川上より流れ来て岩根に
かかる。社人不審に思い其のまま取上見るに新た
なる矢なり。此の矢私にすべきに非ずとて山の丘
崎にあった榊の下に立ち置きて帰る。其夜神の御
告げあり。「汝あやしみ思う柏の葉は則ち国つ神な
り。白羽の矢は応化の百王を守る神なり。此の山
の底つ岩根に斎き祀りて八ケの庄の氏神となせ
よ」と。翌日その榊の下に行って見ると弓矢も柏
の葉も無し。社人思うに国つ神とは志都の岩屋に
坐す大己貴命、少名彦命なり。又白羽の矢の応化
の百王を守る神とは、山城国愛宕郡に鎮座の上賀
茂神社なりと。是によりて社人遂に京都に上り上
賀茂神即ち賀茂別雷命を奉じて帰り祀る。又その
四多原の御丘崎に御崎大明神として大己貴命、少
名彦命を祀り、四多原山を改めて羽尾山と号す。
賀茂神社これより八ケの庄の氏神となる。川上
を名づけて出羽といい、川下を口羽と言える村此の
時より始まる。」とある。 −『神国島根』− |