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宇倍神社
うべじんじゃ
[鳥取旅行] 鳥取県鳥取市国府町宮下字一宮651  Zenrin Data Com Maps display !!


亀崩

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式内社 因幡國法美郡 宇倍神社 名神大
因幡國一宮
旧國幣中社

御祭神
武内宿禰命

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鳥取県鳥取市(旧国府町)、鳥取駅から東南に3Kmほどにある。
百人一首に
「立別れ因幡の山の峰に生ふる松としきかば今かへり来む」 在原行平
と歌われた稲葉山の西南麓に鎮座。
因幡国庁跡の500mほど北に境内入口があり、
階段を登って境内。

階段を登ったところににある、手水は、
稲葉山中腹から引かれたもの。
延命長寿の水で、美人になるなど七つの効き目があるらしい。

正面に社殿があり、左手に社務所。
社殿の背後の丘の上には、祭神・武内宿禰命終焉之地と言われる
亀金岡があり、「双履石」という石が祀られている。
同じく武内宿禰命を祀る、福岡にある織幡神社も、
祭神が、沓を脱いで昇天したという、沓塚がある。

『二十二社註式』によると、
大化四年(648)の創立という。

『因幡国風土記』逸文に、
「仁徳天皇五十五年春三月、大臣武内宿禰命御年三百六十余歳で
因幡國に下向され、亀金に双履を残して行方知れずとなった。
因幡国法美郡の宇倍山の麓に神の社があり、武内宿禰の御霊である」

当地が、武内宿禰命の終焉の地と考えられている。

このように、当社の祭神は、一般には武内宿禰命と考えられているが、
異説もある。たとえば、
稲葉国造の祖・彦坐王の皇子、彦多都彦命とする説。
当社神官であった伊福部氏の祖神・武牟口命とする説。

因幡国一宮である。
平安後期、当国長官に任命された平時範による
『時範記』(1099)には、当社を筆頭として
国内諸社を巡拝する様子が記されているらしい。

境内左手には、境内社・国府神社がある。祭神は、
建御雷神 日本武尊 速佐須良比咩神 武内宿禰命
伊弉諾尊 菊理姫命 土御祖神 奧津彦命 奧津姫命 宇迦之御魂命
名前を見た時に、因幡国の総社か、とも思ったが、
元は宮下神社という名前だったらしく、
大正時代に付近の六社を合祀して改称したものだそうだ。
合祀された神社の中に総社跡か、とも思われる上神社が含まれているらしいが。

神紋は、祭神の終焉の地である亀金岡にちなんだものか、
あるいは、祭神の長寿にあやかったものか、
亀を図案化した文様。
拝殿の前にも、福徳亀という亀型の石が置かれていた。


参道の鳥居

境内鳥居

参道階段

境内社殿

本殿

拝殿

亀金岡・武内宿禰命終焉之地の石碑

亀金岡の双履石

福徳亀

国府神社

双履石
御祭神「武内宿禰命」は第十二代 景行天皇から仁徳天皇までの 五朝にお仕えされ、大臣の祖と して日本の国づくりに御活躍の後 仁徳天皇五十五年春三月、 この亀金の岡に双履を遺し 齢三百六十余歳にてお隠れ になりました。
その石を双履石と称し 命御昇天の霊石として 今に伝わる当社の原点です。

−境内案内−


宇倍神社(因幡一の宮) 國幣中社
岩美線国府町宮の下 山陰本線 鳥取駅より四粁
祭神 武内宿禰命 例祭 四月二一日
神紋 亀崩し 本殿 六坪半
境内 六四〇〇坪 摂末社 一社
宝物 宇倍神社縁起書、八幡縁起絵巻物、秀吉佩刀、絵画、刀剣類(池田侯寄進)、因幡誌原本、平安鏡、陶器、玉、剣類(境内よりの出土)
氏子 四百戸
神事と芸能 神輿渡御祭の時代行列、キリン獅子(県無形文化財)
由緒沿革  式内名神大社、因幡国一の宮。明 治四年国幣中社に列した。風土記に武内宿禰 命垂跡也。仁徳帝治五五年春三月当国御下向 とある。現に本殿の後阜亀金岡の雙履石は即 ち御祭神の雙履を残された霊跡である。社殿 の創建、諸社根元記に孝徳天皇大化四年造社 壇と見える。古来日本最初の大臣最高の長寿 の神として著名、当社は因幡国府の中心、百 人一首所載の稲葉山麓に位置し古代文化遺蹟 の中心地である。

−『全國神社名鑑』−



最終更新日:2013/10/09
【 宇倍神社 】

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