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式内社 石見國美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社 合祀 式内社 石見國美濃郡 菅野天財若子命神社 菅野神社 旧村社 御祭神 小野天大神之多初阿豆委居命 配祀 日本武尊 應神天皇 神功皇后 比賣大神 須佐之男命 配祀 武内宿禰 少彦名神 彌都波能賣神 金山彦神 倉稻魂神 配祀 猿田彦神 宮比神 大年神 御年神 若年神 事代主神 配祀 綿津見神 大己貴神 天射若子神 |
島根県益田市にある。
石見空港から西へ6Kmほどの戸田に鎮座。
JR山陰本線・戸田小浜駅の南500mほどの小山の上に境内がある。
参拝は、九月の休日。
羽田から石見空港まで飛行機に乗り、
空港でレンタカーを借りて、石見旅行最初の参拝社。
191号線から少し南へ下った場所にあるのだが、
地図で確認できず、とにかくレンタカーを走らせていると、
山の麓に鳥居が見えたので近づいて発見。
参道の階段が上まで続いていたが、
右手に車で登れそうな道があったので、
進んでみると、赤い鳥居の境内へ到着。
参道階段を登ると、境内側面へ到着するようだ。
赤い鳥居の奥、正面に社殿があり、
右手に大きな建物。社務所か参籠所か神楽殿か、
あるいは公民館のような施設かもしれない。
階段上の社殿は、補修が目立ち、
後方の本殿も板で覆われて、様式は確認できなかった。
社伝によれば、
宇多天皇の御宇寛平三年、小野山に勧請された古社。
慶応三年、式内社・小野天大神之多初阿豆委居命神社であると認定され
津和野藩によって再興された。
明治になって、津和野藩主より
八ツ花形の御神体・四つ目菱形の紋幕の御奉納があった。
明治四十年神社整理令のおり、当社境内狭隘であったため、
村社・八幡宮の鎮座地に遷座し、
八幡宮とともに、菅野神社・大年神社を合祀し現在に至る。
よって、通称は八幡様という。
合祀された菅野神社は、式内社・菅野天財若子命神社の論社。
慶応三年、当社と同様、津和野藩へ式内社であることを届け出て
再興を申し出たが、菅野神社は式内社と認定されず、
そのまま放置され、明治になって整理されてしまったらしい。
元の鎮座地は、宮田であったという。
案内板によると、神紋は四つ目菱形らしい。
津和野藩主亀井氏の家紋なので、
隅立四つ目の形で合っていると思うが、
現地では確認できなかった。
社殿の左前に、小さな境内社が一つ。
これも、案内板から推測すると、粟島社だと思う。
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小野神社(村社)
−境内案内板より− 本社は小野村大字戸田字小野山に鎮座宇多天皇の御宇寛平三年勧請慶應四辰年五月六日式内神社たるにつき津和野藩主亀井茲監公より大宮司を置かれ祭典料を供進せらる。 明治四年三月十五日藩主より本殿及び神楽殿御再建藩臣后阿正多良福羽美静をして其の任に当たらしめ同年八月藩主より八ッ花形の御神体及び四つ目御紋幕の御奉納あり時に八庄屋二十ヶ村二千有全戸の崇敬神社たり。 明治五年十月浜田県知事佐藤氏大屬高島氏参拝幣帛を供せられ明治六年五月に村社に列せらる。 然るに本社は境内地狭益なるを以て明治三十九年十二月二十九日同村大字同所松雲山元村社八幡宮境内地へ移転し其の建物全部使用の件出願自四十年三月二日許可を得て同四十一年九月二十五日移転を行う明治四十四年三月四日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和五十年四月吉日千二百年式年大祭を奉祝す。 −『平成祭データ』− | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||