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大麻山神社
おおあさやまじんじゃ
[島根旅行] 島根県浜田市三隅町室谷1097  Zenrin Data Com Maps display !!


梶の葉

式内社 石見國那賀郡 大麻山神社
旧郷社

御祭神
天日鷲命 猿田彦命 大麻彦命(太玉命
配祀
藏王權現 熊野權現 走湯權現 白山權現 山王權現

島根県三隅町にある。
JR折居駅から直線で3Km。移動距離では8Kmほどの
大麻山(599m)の山頂附近に鎮座。

駅からは、折居川にそって南下し、井野方面へ向う。
3Kmほど進むと、道路左手に、大麻山山頂へ向う分岐点。
分岐点には、当社の大鳥居が立っているのですぐわかる。
その鳥居から、ウネウネと道路を登って5Km。
道は綺麗に整備されており、すぐに当社の駐車場に到着。

昔は歩いて登っていたのだと思うと、
車で一気に上ることに、少し抵抗を感じたが、
遠方からの参拝には、やはり車でないと。

駐車場側に社務所があり、裏側には遠州流庭園。
この遠州流は、遠江地方風ということではなく、
江戸期の作庭家・小堀遠州の作風ということ。
小堀遠州は、利休・織部につながる茶道家でもある。

車を停めて、社務所前にある階段を登って行くと、
社殿が鎮座。拝殿の後方に本殿。本殿の右手に稲荷社。
階段の参道には、紫陽花が植えられている様子。
季節になれば、美しい参道になるのだろう。

社殿の横から小道が上に続いており、
300mほど登ると、大麻山山頂。
山頂へは、当社駐車場横から車道も続いており、
車で登ることもできる。

仁和四年(886)、徳島の大麻比古神社忌部神社を勧請し、
大麻山と号した。
寛平元年(889)、社殿を建立。
安和二年(969)、四権現を勧請したという。

天暦三年(949)、神宮寺である尊勝寺を建立し、
尊勝寺別当が神社神職を兼ねる、神仏習合の社であった。
その後、戦禍や災害により、再建を繰り返したが、
明治になって、廃仏毀釈により、神社だけになったもの。

当社の神紋は梶の葉の紋。
元社の一つ・忌部神社も梶の葉紋なので、その影響だと思う。
ただし、梶の図案が、少し変わっており、
平戸梶の葉と呼ばれる、九州地方の紋様。
日本海に近い場所にあり、阿波国よりも
九州との交流が盛んだったのかもしれない。


鳥居、ここから5Km

境内の庭園

階段と鳥居

参道鳥居

参道と社殿

拝殿

拝殿の神紋

社殿

本殿

本殿右の稲荷社

大麻山山頂の祠

大麻山神社の由来
 当山は天平年中(七二一〜七八一)双子山と呼んで いた。仁和四年(八八八)御神託により大麻山と改め、 朝廷に奉聞す。寛平元年(八八九)阿波国(徳島県) 板野郡大麻山鎮座の大神を勧請し、宇多天皇の勅許に より社殿を建立す。
 御祭神 天日鷲命猿田彦命・大麻彦命(太玉命)。 蔵王權現・熊野權現・走湯權現・山王権現・白山權現  いつのほどにか、五社権現と呼ばれるようになった。

−境内案内板−


遺跡 大麻山尊勝寺庫裏跡
 真言宗大麻山尊勝寺は、西の「高野山」とも呼ばれて、きわめて崇敬 の厚い霊地として知られていた。寺の開基は天暦3(949)年である。大麻 山神社の勧請もこの頃で、尊勝寺は神仏習合の神宮寺であった。
 天保7(1836)年、長雨による地すべりのため、尊勝寺、大麻山神社とも に崩壊した。尊勝寺は庫裏のみ現在の社務所敷地に、神社は現在地にそ れぞれ再建された。さらに、明治5(1872)年の浜田地震で被災し、尊勝寺 は廃仏毀釈の時代であったことも影響して、ついに再建されることなく 廃寺となった。
 この駐車場附近に残る平らに削られた石は、尊勝寺庫裏の礎石の一部 で、平成6年駐車場整備の時に発掘された。礎石の大きさ、石垣の雄大 さから往時を偲ぶことができる。

−駐車場案内板−



最終更新日:2013/10/09
【 大麻山神社 (三隅町) 】

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