つべしろ
島根県安来市広瀬町広瀬字目谷口1415

式内社 出雲國意宇郡 都辨志呂神社
旧村社

素盞嗚尊,岐戸大神

「祭神來名度神といふ。是は信じがたし。都辨を杖とおもひての非事なり。
杖は都惠なり。音異なり。強て杖なりとせば。來名度神にはあらで、
大穴持神の御杖なる國造家の祖神ともいはるべし」
『出雲國式社考』

広瀬庁舎から北へ、住宅の奥にある小山(丘)の上にある。
路地の突き当たりに階段があり、中ほどに鳥居。
階段上に神門がある。

境内社がいくつかあるが、どの境内社にも千羽鶴が納められている。
注連縄も整い、社名もちゃんと書かれていて、信仰の篤さを感じる。

拝殿の扉が開いていた。通常、人のいない神社の場合閉まっている。
近所(氏子)の方が掃除でもしたのだろうか。
境内は、きれいに整理されており、気持ちが良い鎮守の趣。


 当社はもともといまの広瀬町の鍛冶町後丁に地 にましましたが、火災・水害に遇はれ、寛文八年(一六六 八)伊吹山の麓に奉遷し、さらに延寶五年(一六七七)現在 地に遷したもので、そのたびたびの災害により古文書等が ほとんど消滅し、拠るべき史料が残存していない。ただ社 伝によれば、上古素盞嗚尊が岩坂の方から駒返り峠を越え て飯梨川筋へ出られ、流域を巡行せられし際、現在の広瀬 町中町字札場のあたりで休息し。安来方面に向かって出発 せられし際、その腰掛け給いしところに御杖を忘れおき給 いしを、郷人、こは尊の御杖なれば畏しとて、その御杖と 腰掛け給いし石とを霊代として、その東方約一町の地、す なはち現在の鍛冶町後丁の地に社殿を建て、素盞嗚尊を主 神とし、これにそのとき道案内をし給いし岐神を配してお 祀りしたのが、当社の起源であるとなっている。

−『式内社調査報告』−