|
式内社 出雲國意宇郡 都辨志呂神社 旧村社 素盞嗚尊,岐戸大神
「祭神來名度神といふ。是は信じがたし。都辨を杖とおもひての非事なり。
杖は都惠なり。音異なり。強て杖なりとせば。來名度神にはあらで、 大穴持神の御杖なる國造家の祖神ともいはるべし」 『出雲國式社考』 |
広瀬庁舎から北へ、住宅の奥にある小山(丘)の上にある。
路地の突き当たりに階段があり、中ほどに鳥居。
階段上に神門がある。
境内社がいくつかあるが、どの境内社にも千羽鶴が納められている。
注連縄も整い、社名もちゃんと書かれていて、信仰の篤さを感じる。
拝殿の扉が開いていた。通常、人のいない神社の場合閉まっている。
近所(氏子)の方が掃除でもしたのだろうか。
境内は、きれいに整理されており、気持ちが良い鎮守の趣。
|
当社はもともといまの広瀬町の鍛冶町後丁に地
にましましたが、火災・水害に遇はれ、寛文八年(一六六
八)伊吹山の麓に奉遷し、さらに延寶五年(一六七七)現在
地に遷したもので、そのたびたびの災害により古文書等が
ほとんど消滅し、拠るべき史料が残存していない。ただ社
伝によれば、上古素盞嗚尊が岩坂の方から駒返り峠を越え
て飯梨川筋へ出られ、流域を巡行せられし際、現在の広瀬
町中町字札場のあたりで休息し。安来方面に向かって出発
せられし際、その腰掛け給いしところに御杖を忘れおき給
いしを、郷人、こは尊の御杖なれば畏しとて、その御杖と
腰掛け給いし石とを霊代として、その東方約一町の地、す
なはち現在の鍛冶町後丁の地に社殿を建て、素盞嗚尊を主
神とし、これにそのとき道案内をし給いし岐神を配してお
祀りしたのが、当社の起源であるとなっている。
−『式内社調査報告』− |