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山狹神社
やまさじんじゃ
島根県安来市広瀬町大字下山佐1176
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式内社 出雲國意宇郡 山狹神社 |
島根県安来市広瀬町に鎮座。
広瀬町の中心から西へのびる道の途中にある、
こんもりとした丘が神域だ。
欝蒼とした参道を歩き、階段上に神門がある。
式内社・山狹神社の論社の一つ。
式内社・山狹神社は、出雲国風土記に「夜麻佐社」とある神社だ。
論社として、ここ下山佐と上山佐に同名神社が存在する。
出雲国風土記には、式内社・同社坐久志美氣濃神社であると思われる
「夜麻佐社」がもう一社ある。
よって、式内社・山狹神社、同社坐久志美氣濃神社については二説あり、
上山佐の山狹神社が、式内社・山狹神社で
当社・下山佐の山狹神社が、式内社・同社坐久志美氣濃神社であるとする説。
当社・下山佐の山狹神社が、式内社・山狹神社で、
当社境内の久志美氣濃神社が、式内社・同社坐久志美氣濃神社であるとする説。
当社は以前は熊野神社と名乗っていた神社。
式内社・同社坐久志美氣濃神社とされる境内社久志美氣濃神社の祭神は、
熊野大社の加夫呂伎熊野大神(櫛御気野命)と同じ神。
天狗山を挟んで鎮座する、
熊野大社と熊野神社(当社)には何らかの関係があるのかも。
境内は工事中で、足の踏み場がなかった。
社殿の修築中だが、この日は日曜で無人。日曜で良かった。
修築中の社殿は非常に美しい装飾がなされている。
広瀬の城下に近いため、藩主の崇敬が篤かったようだ。
本殿左横に小祠があり、式内久志美氣濃神社とある。
社頭 |
鳥居扁額 | 階段上の神門 | 参道の捻じれた木 |
神門から境内 | 拝殿扁額 |
境内と修築中の社殿 |
稲荷社・久米社 | 修築中(1999年) |
本殿 | 拝殿彫刻 |
愛宕社 | 久志美氣濃神社 | 久志美氣濃神社扁額 |
僕が参拝した1999年の修復を担当された建築士の岩山哲川様から
修復後の境内や社殿の写真をいただいた。
参拝当時は足の踏み場もない状態だったが、
今は綺麗なお宮になっている様子。
ありがとうございました。
岩山哲川様の岩山哲川建築設計事務所サイト
修復後の境内 | そして社殿 |
「當社明細帳」に次のごとく見えてゐる。 「延喜式云。山狹神社に座す久志美氣濃神社は、出雲風 土記云山狹社と有り。右風土記の二社奉られたる一社は、 式の所謂同社に座す久志美氣濃神社に當る。又風土記の松 藩神戸郡吏岸崎時照の抄を見るに、野城の驛家より三、四 十町上り、祖父姥谷と云有。又姥谷より三、四十町上り 伊弉諾尊・伊弉册尊を山佐村に祭ると有るは是なり。然る 處、神代の昔素戔嗚尊天下御巡り座し時、出雲國仁多郡島 上にて八俣遠呂智を平げ給ふより意宇郡須我山に至り給 ふ。此の處に假の御舎造り座給ひ、御身心を安き給ふ神跡 なり。是より西に當る天來山と言ふ有。此れは能義郡山佐 村と意宇郡熊野村との間にて、此の大神の通はせ給ふ處な きや。今猶仁多郡より能義郡山佐村を經由して熊野村に至 る經路として、山路より山佐村と熊野村とを連絡する間道 なり。今は龜山・鶴山と云ふ。御通路山にいつき奉る山狹 社と申すは熊野大神なり。素戔嗚尊の亦の名を熊野加牟呂 岐久志美氣濃尊なり。依つて今にも龜山・鶴山併せ兩山 あり。龜山に祭る山狹社、同久志美氣濃社なり云々。久安 年中北面の武士民部少輔當國へ下向の時、鵜を使ふ人を連 れ靈驗あらたかなる當社に参詣せしことあり。今にも鵜飼 田と云ふ神田社縁もあり。安永四年乙未七月領主松平淡路 守御社詣、其れより以来代々御社参。年頭禮母年御玉串献 上の事ありす爲、富田藩士の懇望により正徳四年十月同社 に座す久志美氣濃社を分祀し、山狹神社境内社として、更 に社殿を造営して久志美氣濃神社となす。爾來廣瀬藩家老 職鈴木家が同神社の本願として其の崇敬頗る厚かりき」 −『式内社調査報告』− |