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式内社 出雲國意宇郡 山狹神社 旧村社 伊弉諾尊,伊弉冉尊,速玉男命,事解男命 伊弉册尊,速玉男,事解男 『雲陽誌』 伊弉諾尊,速玉男,事解男 『出雲國式社考』 久志美氣野神 『特撰神名牒』 境内式内社 同社坐久志美氣濃神社 |
島根県安来市広瀬町に鎮座。
広瀬町の中心から西へのびる道の途中にある、
こんもりとした丘が神域だ。
欝蒼とした参道を歩き、階段上に神門がある。
式内「山狹神社」としては、ここ下山佐と上山佐に同名神社が存在する。
ここは以前は熊野神社と名乗っていた。
境内社である久志美氣濃神社の祭神は、
熊野大社の加夫呂伎熊野大神(櫛御気野命)と同じ神。
また、熊野大社にいても、下宮・上宮の二社構成になっていた。
天狗山を挟んで鎮座する、熊野大社と熊野神社(当社)には何らかの関係を感じる。
境内は工事中で、足の踏み場がなかった。
社殿の修築中だが、この日は日曜で無人。日曜で良かった。
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「當社明細帳」に次のごとく見えてゐる。 「延喜式云。山狹神社に座す久志美氣濃神社は、出雲風 土記云山狹社と有り。右風土記の二社奉られたる一社は、 式の所謂同社に座す久志美氣濃神社に當る。又風土記の松 藩神戸郡吏岸崎時照の抄を見るに、野城の驛家より三、四 十町上り、祖父姥谷と云有。又姥谷より三、四十町上り伊 弉諾尊・伊弉册尊を山佐村に祭ると有るは是なり。然る 處、神代の昔素戔嗚尊天下御巡り座し時、出雲國仁多郡島 上にて八俣遠呂智を平げ給ふより意宇郡須我山に至り給 ふ。此の處に假の御舎造り座給ひ、御身心を安き給ふ神跡 なり。是より西に當る天來山と言ふ有。此れは能義郡山佐 村と意宇郡熊野村との間にて、此の大神の通はせ給ふ處な きや。今猶仁多郡より能義郡山佐村を經由して熊野村に至 る經路として、山路より山佐村と熊野村とを連絡する間道 なり。今は龜山・鶴山と云ふ。御通路山にいつき奉る山狹 社と申すは熊野大神なり。素戔嗚尊の亦の名を熊野加牟呂 岐久志美氣濃尊なり。依つて今にも龜山・鶴山併せ兩山 あり。龜山に祭る山狹社、同久志美氣濃社なり云々。久安 年中北面の武士民部少輔當國へ下向の時、鵜を使ふ人を連 れ靈驗あらたかなる當社に参詣せしことあり。今にも鵜飼 田と云ふ神田社縁もあり。安永四年乙未七月領主松平淡路 守御社詣、其れより以来代々御社参。年頭禮母年御玉串献 上の事ありす爲、富田藩士の懇望により正徳四年十月同社 に座す久志美氣濃社を分祀し、山狹神社境内社として、更 に社殿を造営して久志美氣濃神社となす。爾來廣瀬藩家老 職鈴木家が同神社の本願として其の崇敬頗る厚かりき」 −『式内社調査報告』− |