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式内社 周防國都濃郡 二俣神社 旧郷社 建御名方神 配祀 大物主神,八千矛神 |
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長穂の式内正一位二俣神社は社傅によると、雄略
天皇八年に長田に鎮座、のち宮原の亀山へ移したが、後年、
鹿野、大向の両肚より式内の論争が生じたとき、亀山の社地
が狭いために両所に勧請させたものだと傅へてゐる。元禄
二年(一六八九)、再建の棟札には二俣周方二所大神と記載
されてゐるのであるが、これより先、貞享二年(一六八五)
八月廿日の『神主家舊記』に「周方國都濃郡一座之神社長
穂村宮ノ原と申所に従古来御社貳有之候…御什寶抔御座
候様ニ承候ヘ共、文禄年號之頃御社頭炎燒仕、其時代〆無
御座由申傅候」とあつて、文禄年間に焼失して以来、二俣
神社に関するものは一切焼失したのである。周方社につい
ては、社傅によると、清寧天皇の御宇、出雲國より本村字
下筋に御影向あり鎮座されたが、のち字長田に奉遷し、さ
らに現社地に遷すと傅へてゐる。元禄二年、社殿を再建し
て二社を合祀し、式内二俣神社周方大明神と称するに至
る。明治四年、周方神社と改称し、さらに同七年二月に郷
社に列せられた。
−『式内社調査報告』− |